・・・丁度上田万年博士が帰朝したてで、飛白の羽織に鳥打帽という書生風で度々遊びに来ていた。緑雨は相応に影では悪語をいっていたが、それでも新帰朝の秀才を竹馬の友としているのが万更悪い気持がしなかったと見えて、咄のついでに能く万年がこういったとか、あ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・「おお、五体は宙を飛んで行く、これぞ甲賀流飛行の術、宙を飛んで注進の、信州上田へ一足飛び、飛ぶは木の葉か沈むは石田か、徳川の流れに泛んだ、葵を目掛けて、丁と飛ばした石田が三成、千成瓢箪押し立てりゃ、天下分け目の大いくさ、月は東に日は西に・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・と、法科の上田がその四角の顔をさらにもっともらしくして言いますと、鷹見が、「しかし樋口には何よりこの紐がうれしいのだろう、かいでみたまえ、どんなにおいがするか」「ばか言え、樋口じゃあるまいし」と、上田の声が少し高かったので、鸚鵡が一・・・ 国木田独歩 「あの時分」
この度は貞夫に結構なる御品御贈り下されありがたく存じ候、お約束の写真ようよう昨日でき上がり候間二枚さし上げ申し候、内一枚は上田の姉に御届け下されたく候、ご覧のごとくますます肥え太りてもはや祖父様のお手には荷が少々勝ち過ぎる・・・ 国木田独歩 「初孫」
上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。『大いなる事業』ちょう言葉の宮の壮麗しき台を金色の霧の裡に描・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・のを忘れて、あわてたそうよ。 夜が明けてから、お前が可愛がって運動に入れてやった「中島鉄工所」の上田のところへ、母が出掛けて行ったの。若しも上田の進ちゃんまでやられたとすれば、事件としても只事でない事が分るし、又若しまだやって来ていない・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・ その日、高瀬は始めて広岡理学士に紹介された。上田町から汽車で通って来るという。高瀬から見れば親と子ほども年の違った学者だ。「高瀬さんは三年という御約束で、私共の塾へ来て下さいました」 先生は今度雇い入れた新教員のことを学士に話・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・歴史文学所載の貴文愉快に拝読いたしました。上田など小生一高時代からの友人ですが、人間的に実にイヤな奴です。而るに吉田潔なるものが何か十一月号で上田などの肩を持ってぶすぶすいってるようですが、若し宜しいようでしたら、匿名でも結構ですから、何か・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・情籠りて云々は上田敏、若きころの文章である。ふと思う なんだ、みんな同じことを言っていやがる。Y子 そのささやきには真摯の響きがこもっていた。たった二度だけ。その余は、私を困らせた。「私、なんだか、ばかな・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・Close Up : Vol. VI, VII.エイゼンシュテイン、映画の弁証法(佐々木能理男。ベーロ・ボラージュ、映画美学と映画社会学。上田進訳編、映画監督学とモンタージュ論。レオン・ムーシナック、ソヴィエト・ロシアの・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
出典:青空文庫