・・・着ているのは黒の背広であるが、遠方から一見した所でも、決して上等な洋服ではないらしい。――その老紳士が、本間さんと同時に眼をあげて、見るともなくこっちへ眼をやった。本間さんは、その時、心の中で思わず「おや」と云うかすかな叫び声を発したのであ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ 堀尾一等卒にこう云われたのは、これも同じ中隊にいた、小学校の教師だったと云う、おとなしい江木上等兵だった。が、そのおとなしい上等兵が、この時だけはどう云う訣か、急に噛みつきそうな権幕を見せた。そうして酒臭い相手の顔へ、悪辣な返答を抛り・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした。ジムは僕より身長・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
「僕の帽子はおとうさんが東京から買って来て下さったのです。ねだんは二円八十銭で、かっこうもいいし、らしゃも上等です。おとうさんが大切にしなければいけないと仰有いました。僕もその帽子が好きだから大切にしています。夜は寝る時にも・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・段々秋が深くなると、「これまでのは渡りものの、やす女だ、侍女も上等のになると、段々勿体をつけて奥の方へ引込むな。」従って森の奥になる。「今度見つけた巣は一番上等だ。鷺の中でも貴婦人となると、産は雪の中らしい。人目を忍ぶんだな。産屋も奥御殿と・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・銃口が私の胸の処へ向きましたものでございますから、飛上って旦那様、目もくらみながらお辞儀をいたしますると、奥様のお声で、 おやお婆さん、ここは上等の待合室なんだよ、とどうでしょう……こうでございます。 人の胃袋の加減や腹工合はどうで・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・「ご隠居さん、ここには上等のお菓子はありません。飴チョコならありますが、いかがですか。」と、菓子屋のおかみさんは答えました。「飴チョコを見せておくれ。」と、つえをついた、黒い頭巾をかぶった、おばあさんはいいました。「どちらへ、お・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・ 上等の奴やなかったら効かへんと二十円も貰った御寮人さんは、くすぐったいというより阿呆らしく、その金を瞬く間に使ってしまった。けれども、さすがに嫂の手前気がとがめたのか、それとも、やはり一ぺん位夫婦仲の良い気持を味いたかったのか、高津の・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・最下等の芸者だが、最上等の芸者よりも清いのである。もっとも情夫は何人もいる。…… 語っているマダムの顔は白粉がとけて、鼻の横にいやらしくあぶらが浮き、息は酒くさかった。ふっと顔をそむけた拍子に、蛇の目傘をさした十銭芸者のうらぶれた裾さば・・・ 織田作之助 「世相」
・・・この日も鷹見は、帰路にぜひ寄れと勧めますから、上田とともに三人連れ立って行って、夫人のお手料理としては少し上等すぎる馳走になって、酒も飲んで「あの時分」が始まりましたが、鷹見はもとの快活な調子で、「時に樋口という男はどうしたろう」と話が・・・ 国木田独歩 「あの時分」
出典:青空文庫