・・・わたくしはもう二三年致せば、多門はとうてい数馬の上達に及ぶまいとさえ思って居りました。………」「その数馬をなぜ負かしたのじゃ?」「さあ、そこでございまする。わたくしは確かに多門よりも数馬を勝たしたいと思って居りました。しかしわたくし・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ 伊助の浄瑠璃はお光が去ってからきゅうに上達し、寺田屋の二階座敷が素義会の会場につかわれるなど、寺田屋には無事平穏な日々が流れて行ったが、やがて四、五年すると、西国方面の浪人たちがひそかにこの船宿に泊ってひそびそと、時にはあたり憚か・・・ 織田作之助 「螢」
・・・四 やがて、寿子の腕は、庄之助自身ふと嫉妬を感ずる位、上達した。 十三で小学校を卒業して、間もなく、東京日日新聞主催の音楽コンクールが東京で行われた。 寿子は大阪で行われた予選で第一位を占めた。庄之助は、旅費を工面す・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・商売に身をいれるといっても、客が来なければ仕様がないといった顔で、店番をするときも稽古本をひらいて、ぼそぼそうなる、その声がいかにも情けなく、上達したと褒めるのもなんとなく気が引けるくらいであった。毎月食い込んで行ったので、再びヤトナに出る・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・技術は何によらず練習するより他に上達する道はない。一つ書くごとに成長してゆくものである。ロダンなどは絶え間なく練習していたということである。 以上を常に忘れず心に止め、固く守って気長く根気強く努力したならば、素質のいい者はきっと・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・そんな工合で互に励み合うので、ナマケル奴は勝手にナマケて居るのでいつまでも上達せぬ代り、勉強するものはズンズン上達して、公平に評すれば畸形的に発達すると云っても宜いが、兎に角に発達して行く速度は中々に早いものであったのです。 併し自修ば・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・三田君も山岸さんに教えられて、或いは、ぐんぐん上達したのかも知れないと思った。 けれども、私がまだ三田君のその新しい作品に接しないうちに、三田君は大学を卒業してすぐに出征してしまったのである。 いま私の手許に、出征後の三田君からのお・・・ 太宰治 「散華」
・・・「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」「あははは。」 家来たちの不用心な私語である。 それを聞いてから、殿様の行状は一変した。真実を見たくて、狂った。家来たちに真剣勝負を挑んだ。けれども家来・・・ 太宰治 「水仙」
・・・馬を稽古する人が上達するに従ってだんだん荒い馬を選ぶようになる心理もいくらかわかったような気がする。何よりも荒馬のいきり立って躍り上がる姿にはたとえるもののない「意気」の美しさが見られるのである。 この映画の「筋」はわりにあっさりしてい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・学芸の上達せざるは、学者の不外聞なり、工業の拙なるは、職人の不調法なり。智力発達せずして品行の賤しきは、士君子の罪というべし。昔日鎖国の世なれば、これらの諸件に欠点あるも、ただ一国内に止まり、天に対し同国人に対しての罪なりしもの、今日にあり・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫