・・・ で、上靴を穿かせて、つるつるする広い取着の二階へ導いたのであるが、そこから、も一ツつかつかと階子段を上って行くので、連の男は一段踏掛けながら慌しく云った。「三階か。」「へい、四階でございます。」と横に開いて揉手をする。「そ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・負傷者が行くと、不自然な笑い方をして、帯皮を輪にしてさげた一人は急いで編上靴を漆喰に鳴らして兵舎の方へ走せて行った。 患者がいなくなるので朝から焚かなかった暖炉は、冷え切っていた。藁布団の上に畳んだ敷布と病衣は、身体に纒われて出来た小皺・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・家を出る時でも、編上靴のように、永いこと玄関にしゃがんで愚図愚図している必要がない。すぽり、すぽりと足を突込んで、そのまますぐに出発できる。脱ぎ捨てる時も、ズボンのポケットに両手をつっこんだままで、軽く虚空を蹴ると、すぽりと抜ける。水溜りで・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・ 切符売場には、既に幾条も前売切符を買うための人列がうねくっていた。切符はどちらかといえばたかい。二月十三日は私の誕生日なので、私の道伴れは奮発して平土間の第八列目を買った。 上靴の中で足が痛いほど寒かった。街はますます白く、ますま・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・彼女は、自分の前で跪いたり上靴へ接吻したりした男に、部屋着姿を見られるのを工合わるく感じたのだ。「ねえ、ステパン・ステパノヴィッチ、この頃、どなたか、私共の仲間の奥さんにお会いでしたか」「一昨日、マダム・ブーキンにお目にかかりました・・・ 宮本百合子 「街」
・・・外套の下に上靴と防寒靴が三足かためてあった。窓から二米はなれて湯槽があった。黒い髪だけが湯槽の外へ見えた この間こんな絵を見た。やっぱり今ここに在る通り湯槽から頭だけが見えて居る。これは禿げた爺のロチョー部だったが、戸が一寸すいて八つの・・・ 宮本百合子 「無題(七)」
出典:青空文庫