・・・後で聞けば、硫黄でえぶし立てられた獣物の、恐る恐る穴の口元へ首を出した処をば、清五郎が待構えて一打ちに打下す鳶口、それが紛れ当りに運好くも、狐の眉間へと、ぐっさり突刺って、奴さん、ころりと文句も云わず、悲鳴と共にくたばって仕舞ったとの事。大・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工のように硬張ってしまう。複雑な特性を簡単に纏める学者の手際と脳力とには敬服・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・しかしひとたび筆を執って喧嘩する吾、煩悶する吾、泣く吾、を描く時はやはり大人が小児を視るごとき立場から筆を下す。平生の小児を、作家の大人が叙述する。写生文家の筆に依怙の沙汰はない。紙を展べて思を構うるときは自然とそう云う気合になる。この気合・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・然し、首に綱をつけて吊り下すことはできた。ただ、そうすると、病人は、もっと早く死ぬことになるのだった。 どうして卸したらいいだろう。 謎のような話であった。 けれども、コレラは容赦をしなかった。 水火夫室から、倉庫へ下りる事・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・一度くらいは連れて来て下すッたッていいじゃありませんか。本統にひどいよ」「そういうわけじゃアないんだが、あの人は今こっちにいないもんだから」「虚言ばッかし。ようござんすよ。たんとお一人でおいでなさいよ」「困るなアどうも」「な・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・余輩ここに上下の字を用ゆといえども、敢てその人の品行を評してこれを上下するに非ず。改進家流にも賤しむべき者あらん、守旧家流にも貴ぶべき人物あらん。これを評論するは本編の旨に非ず。ただ、国勢変革の前後をもって、かりに上下の名を下したるのみ。・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・興奮して歩き廻りながら、早く、早く、救を遣れと命を下す辺。私の大嫌な作った姫様声は熱を持ち、響き、打掛の裾をさばいての大きな運動とともに、体中ぞっとするような真実に打たれた心持は忘れ難い。 無理之助が現れて、さては騙かれたかと心付く辺以・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・歴史においては、初め手を下すことを予期せぬ境であったのに、経歴と遭遇とが人のために伝記を作らしむるに至った。そしてその体裁をして荒涼なるジェネアロジックの方向を取らしめたのは、あるいはかのゾラにルゴン・マカアルの血統を追尋させた自然科学の余・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・皆さんが御親切になすって下すって難有うございます。」ユリアはまだその上にこう云った。「警部さん。あなたはこうなった方が、かえってよいかも知れないとおっしゃいましたが、そうかも知れませんわね。あの人は亡くなったのだから、もういたし方がございま・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ そうして私はここにも自分の上に鍛錬の鉄槌を下すべき必要を感じたのであった。三 私は思った。私は自分の努力の不足を責める代わりに、仕事がうまく行かなかったことでイライラする。自分の生活の弛緩を責める代わりに自分がより高く・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫