・・・小作人たちはあわてて立ち上がるなり、草鞋のままの足を炉ばたから抜いて土間に下り立つと、うやうやしく彼に向かって腰を曲げた。「若い且那、今度はまあ御苦労様でございます」 その中で物慣れたらしい半白の丈けの高いのが、一同に代わってのよう・・・ 有島武郎 「親子」
・・・クララは床から下り立つと昨日堂母に着て行ったベネチヤの白絹を着ようとした。それは花嫁にふさわしい色だった。しかし見ると大椅子の上に昨夜母の持って来てくれた外の衣裳が置いてあった。それはクララが好んで来た藤紫の一揃だった。神聖月曜日にも聖ルフ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 薄暗い駅に降り立つと、駅員が、「信濃追分! 信濃追分!」 振り動かすカンテラの火の尾をひくような、間のびした声で、駅の名を称んでいた。乗って来た汽車をやり過して、線路をこえると、追分宿への一本道が通じていた。浅間山が不気味な黒・・・ 織田作之助 「秋の暈」
医者に診せると、やはり肺がわるいと言った。転地した方がよかろうということだった。温泉へ行くことにした。 汽車の時間を勘ちがいしたらしく、真夜なかに着いた。駅に降り立つと、くろぐろとした山の肌が突然眼の前に迫った。夜更け・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 一時間の後、新吉が清荒神の駅に降り立つと、さっきの女はやはりきょとんとした眼をして、化石したように動かずさっきと同じ場所に坐っていた。 織田作之助 「郷愁」
・・・すくない乗客はたいてい一つ手前の駅で降りてしまうので、その寂しい小駅に降り立つ人影は跫音もせぬくらいまばらである。たった一人の時さえ稀らしくなく、わざわざ改札に起きだして来るのも億劫なのであろう。したがって渡し損ねた切符が随分袂のなかに溜っ・・・ 織田作之助 「道」
・・・長良川木曽川いつの間にか越えて清洲と云うに、この次は名古屋よと身支度する間に電燈の蒼白き光曇れる空に映じ、はやさらばと一行に別れてプラットフォームに下り立つ。丸文へと思いしが知らぬ家も興あるべしと停車場前の丸万と云うに入る。二階の一室狭けれ・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 手槍を取って庭に降り立つとき、数馬は草鞋の緒を男結びにして、余った緒を小刀で切って捨てた。 阿部の屋敷の裏門に向うことになった高見権右衛門はもと和田氏で、近江国和田に住んだ和田但馬守の裔である。初め蒲生賢秀にしたがっていたが、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫