・・・七月下旬に沓掛へ行ったときは時鳥が盛んに啼いたが、八月中旬に再び行ったときはもう時鳥を聴くことが出来なかった。すべては時の函数である。 十一 赤いカンナが色々咲いている。文字で書けば朱とか紅とかいうだけである・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・ 昨年の一月下旬、北米合衆国で数日続いて広区域にわたって著しい凍雨と雨氷があった。その当時の気層の状態を高層気象観測の結果と対照して詳細に調査したものが彼の地の雑誌に出ているのを見ると、当時の空中の状況がよく分って面白い。氷点に相当する・・・ 寺田寅彦 「凍雨と雨氷」
・・・ 四十三年一月下旬に父の春田居士が死んだ。その年の三月から亮は学校へ出るのを全くやめて、あてもなく総州へんを旅行したりしていたらしいが、いよいよ神経衰弱がひどくなって、とうとう四月に国へ帰ってしまった。前に言ったように四十四年に再び引き・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・ 六月下旬の或日、めずらしく晴れた梅雨の空には、風も凉しく吹き通っていたのを幸、わたしは唖々子の病を東大久保西向天神の傍なるその居に問うた。枕元に有朋堂文庫本の『先哲叢談』が投げ出されてあった。唖々子は英語の外に独逸語にも通じていたが、・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ 其年露西亜オペラは九月の下旬までおよそ一個月間興行していた。この間わたくしは毎夜怠らず聴きに往くに従って、初日の当夜経験したような感覚の混乱は次第に和げられて行くのを知った。音楽が誘いおこす幻想と周囲の実況とを全く分離せしめ、互に相冒・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・時は蒸し暑くて、埃っぽい七月下旬の夕方、そうだ一九一二年頃だったと覚えている。読者よ! 予審調書じゃないんだから、余り突っ込まないで下さい。 そのムンムンする蒸し暑い、プラタナスの散歩道を、私は歩いていた。何しろ横浜のメリケン波戸場の事・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
十月下旬行われた作家同盟主催の文学講習会のある夜、席上でたまたま「亀のチャーリー」が討論の中心となった。ある講習会員が「亀のチャーリー」をとりあげ、その作品は一般読者の間で評判がよく親しみをもって読まれたから、ああいう肩の・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・そのいきさつのあらましは、一九三二年の三月下旬「日本プロレタリア文化連盟」にたいする弾圧があった時代にさかのぼって話されなければなるまい。それまでは「コップ」や「ナップ」で公然と文筆活動をしていた小林多喜二、宮本顕治その他の人々が、一九三二・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・ 十月下旬から十一月にかけて、団子坂の通りは菊人形で混雑し、菊見せんべいも、団子坂の菊人形につながった一つの東京名物なわけだった。菊の花の造花や、薄でこしらえた赤い耳の木菟を売るみやげやが、団子坂上からやっちゃば通りまでできた。 菊・・・ 宮本百合子 「菊人形」
みなさん! 八十日間の検束の後自由を奪いかえして来た第一の挨拶を送ります。去る三月下旬以来、ファッショ化した帝国主義日本の官憲が狂気のような暴圧を日本プロレタリア文化連盟とその参加団体に加えつつあることはみなさん御承知・・・ 宮本百合子 「逆襲をもって私は戦います」
出典:青空文庫