・・・余り訝しければ、遥かに下流より遠廻りにその巌洞に到りて見れば、女、美しき褄も地につかず、宙に下る。黒髪を逆に取りて、巌の天井にひたとつけたり。扶け下ろすに、髪を解けば、ねばねばとして膠らしきが着きたりという。もっともその女昏迷して前後を知ら・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・そしてその乗合自動車のやって来る起点は、ちょうどまたこの溪の下流のK川が半町ほどの幅になって流れているこの半島の入口の温泉地なのだった。 温泉の浴場は溪ぎわから厚い石とセメントの壁で高く囲まれていた。これは豪雨のときに氾濫する虞れの多い・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・それは溪の下流にあった一軒の旅館から上流の私の旅館まで帰って来る道であった。溪に沿って道は少し上りになっている。三四町もあったであろうか。その間にはごく稀にしか電燈がついていなかった。今でもその数が数えられるように思うくらいだ。最初の電燈は・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・水車へ水を取るので橋から少し下流に井堰がある、そのため水がよどんで細長い池のようになっている、その岸は雑木が茂って水の上に差し出ているのが暗い影を映しまた月の光が落ちているところは鏡のよう。たぶん羽虫が飛ぶのであろう折り折り小さな波紋が消え・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・警戒所でとった煖炉の温度は、扉から出て二分間も歩かないうちに、黒龍江の下流から吹き上げて来る嵐に奪われてしまった。防寒靴は雪の中へずりこみ、歩くたびに畚のようにがく/\動いた。それでも足は、立ち止っている時にでも常に動かしていなければならな・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・またその堤防の草原に腰を下して眸を放てば、上流からの水はわれに向って来り、下流の水はわれよりして出づるが如くに見えて、心持の好い眺めである。で、自分は其処の水際に蹲って釣ったり、其処の堤上に寝転がって、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記し・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・河は数千年来層一層の波を、絶えず牧場と牧場との間を穿って下流へ送っている。なんの目的で河が流れているかは知れないが、どうしても目的がありそうである。この男等の生涯も単調な、疲労勝な労働、欲しいものがあっても得られない苦、物に反抗するような感・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 次に舜典に徴するに、舜は下流社會の人、孝によりて遂に帝位を讓られしが、その事蹟たるや、制度、政治、巡狩、祭祀等、苟も人君が治民に關して成すべき一切の事業は殆どすべて舜の事蹟に附加せられ、且人道中最大なる孝道は、舜の特性として傳へらるゝ・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・「もっと下流がいいかな。水上の駅のほうには、雪がそんなになかったからね。」 死ぬる場所を語り合っていた。 宿にかえると蒲団が敷かれていた。かず枝は、すぐそれにもぐりこんで雑誌を読みはじめた。かず枝の蒲団の足のほうに、大きい火燵が・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・そうしてずいぶん遠く下流にまでやって来る様子で、たいへん大きな河の河口で網を打っていたら、その網の中にはいっていたなどの話もあるようでございます。だいたい日本のどの辺に多くいるのか、それはあのシーボルトさんの他にも、和蘭人のハンデルホーメン・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
出典:青空文庫