・・・ 毎日午後に、下谷御徒町にいた師匠むらくの家に行き、何やかやと、その家の用事を手つだい、おそくも四時過には寄席の楽屋に行っていなければならない。その刻限になると、前座の坊主が楽屋に来るが否や、どこどんどんと楽屋の太鼓を叩きはじめる。表口・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・その間にどの位の時がへだてられたか今思い出せないけれど、その次に会ったときのおけいちゃんは、下谷の芸者であった。白い縞の博多の半幅帯をちょっとしめて、襟のかかったふだん着に素足で、髪もくるくるとまいたままで、うちへ来てくれた。私より一つ年下・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・ 八畳の座敷で、障子の硝子越しに、南天のある小庭と、先にずっと雪に覆われた下谷辺の屋根屋根の眺望があった。 藍子は、女が若しか廃業でもしたい気かも知れないと思って来たのであったが、その推察ははずれていたのを知った。「あんたの気持・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・ 朝八時頃新聞を見、本郷から下谷の其処まで行くうちに、もう十幾人目かの人と、すっかり話が纏って仕舞った等と云うことさえ在ったのである。 ネクタイを結ぶ彼の傍に立ち、自分は、見てもしよいと思ったら、私に構わず定めておしまいなさい、とす・・・ 宮本百合子 「又、家」
・・・ 住いは六十五のとき下谷徒士町に移り、六十七のとき一時藩の上邸に入っていて、麹町一丁目半蔵門外の壕端の家を買って移った。策士雲井龍雄と月見をした海嶽楼は、この家の二階である。 幕府滅亡の余波で、江戸の騒がしかった年に、仲平は七十・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫