・・・おれは不動心を振い起しながら、何故おれ一人赦免に洩れたか、その訳をいろいろ考えて見た。高平太はおれを憎んでいる。――それも確かには違いない。しかし高平太は憎むばかりか、内心おれを恐れている。おれは前の法勝寺の執行じゃ。兵仗の道は知る筈がない・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ こう云われた堀尾一等卒は、全身の筋肉が硬化したように、直立不動の姿勢になった。幅の広い肩、大きな手、頬骨の高い赭ら顔。――そう云う彼の特色は、少くともこの老将軍には、帝国軍人の模範らしい、好印象を与えた容子だった。将軍はそこに立ち止ま・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・Sはちょっとよろめいたものの、すぐにまた不動の姿勢をした。「誰が外から持って来たか?」 Sはまた何とも答えなかった。A中尉は彼を見つめながら、もう一度彼の横顔を張りつける場合を想像していた。「誰だ?」「わたくしの家内でありま・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・最早死の沈黙に鎖されて、死の寂しさをあたりへ漲らしている、を被った、不動の白い形から、驚怖のために、のひろがった我目を引き離すことが出来ない。 フレンチは帰る途中で何物をも見ない。何物をも解せない。丁度活人形のように、器械的に動いている・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 衣の雫 十 待乳屋の娘菊枝は、不動の縁日にといって内を出た時、沢山ある髪を結綿に結っていた、角絞りの鹿の子の切、浅葱と赤と二筋を花がけにしてこれが昼過ぎに出来たので、衣服は薄お納戸の棒縞糸織・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ この七の日は、番町の大銀杏とともに名高い、二七の不動尊の縁日で、月六斎。かしらの二日は大粒の雨が、ちょうど夜店の出盛る頃に、ぱらぱら生暖い風に吹きつけたために――その癖すぐに晴れたけれども――丸潰れとなった。……以来、打続いた風ッ吹き・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・随って手洗い所が一番群集するので、喜兵衛は思附いて浅草の観音を初め深川の不動や神田の明神や柳島の妙見や、その頃流行った諸方の神仏の手洗い所へ矢車の家紋と馬喰町軽焼淡島屋の名を染め抜いた手拭を納めた。納め手拭はいつ頃から初まったか知らぬが、少・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・まで附いているような始末で、正直なところ、今度のような話を取り逃した日には、滅多にもうそういう口はございませんからね……これはお光さんだけへの話ですけれど、私はどうか今度の話が纏まるように、一生懸命お不動様へ願がけしているくらいなんですよ」・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・その学校は土地柄風紀がみだれて、早熟た生徒は二年生の頃から艶文をやりとりをし、三年生になれば組の半分は「今夜は不動様の縁日だから一緒に行こうよ」とか、「この絵本貸してあげるから、ほかの子に見せないでお読みよ」とか、「お前さんの昨日着て来た着・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・不変万世不朽の胸づくし鐘にござる数々の怨みを特に前髪に命じて俊雄の両の膝へ敲きつけお前は野々宮のと勝手馴れぬ俊雄の狼狽えるを、知らぬ知らぬ知りませぬ憂い嬉しいもあなたと限るわたしの心を摩利支天様聖天様不動様妙見様日珠様も御存じの今となってや・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫