・・・昔は公でも私でも何でも皆孝で押し通したものであるが今は一面に孝があれば他面に不孝があるものとしてやって行く。即ち昔は一元的、今は二元的である、すべて孝で貫き忠で貫く事はできぬ。これは想像の結果である。昔の感激主義に対して今の教育はそれを失わ・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・すなわち忠であり孝であり貞であると共に、不忠でもあり不孝でも不貞でもあると云う事であります。こう言葉に現わして云うと何だか非常に悪くなりますが、いかに至徳の人でもどこかしらに悪いところがあるように、人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑もない・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・歳月の間に其子供等は小学を勉強して不孝の子となり、女大学を暗誦して婬婦となり、儒教の家庭より禽獣を出したるこそ可笑しけれ。左れば男女交際は外面の儀式よりも正味の気品こそ大切なれ。女子の気品を高尚にして名を穢すことなからしめんとならば、何は扨・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 主人の内行修まらざるがために、一家内に様々の風波を起こして家人の情を痛ましめ、以てその私徳の発達を妨げ、不孝の子を生じ、不悌不友の兄弟姉妹を作るは、固より免るべからざるの結果にして、怪しむに足らざる所なれども、ここに最も憐れむべきは、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ いろいろ下らん事で心配をかけてすまないとか、ほんとに不孝な子を持った因果とあきらめてくれ、などと涙声で云われると、却って栄蔵の方が、云い訳けをしたい様な気持になった。 十円といくらかの銭ほかない貧乏親父をこんなにたよりにして、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・佐兵衛は「お前のような不孝者を、親父様に知らせずに留めて置く事は出来ぬ」と云った。亀蔵はすごすご深野屋の店を立ち去ったが、それを見たものが、「あれは紀州の亀蔵と云う男で、なんでも江戸で悪い事をして、逃げて来たのだろう」と評判した。 後に・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫