・・・常子は畳のなくなったことを大いに不平に思っているらしい。が、靴足袋をはいているにもせよ、この脚で日本間を歩かせられるのはとうてい俺には不可能である。……「九月×日 俺は今日道具屋にダブル・ベッドを売り払った。このベッドを買ったのはある亜・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・父ははたして内訌している不平に油をそそぎかけられたように思ったらしい。「寝たければお前寝るがいい」 とすぐ答えたが、それでもすぐ言葉を続けて、「そう、それでは俺しも寝るとしようか」 と投げるように言って、すぐ厠に立って行った・・・ 有島武郎 「親子」
・・・好きな物を食ってさえいれあ僕には不平はない。A 殊勝な事を言う。それでは今度の下宿はうまい物を食わせるのか。B 三度三度うまい物ばかり食わせる下宿が何処にあるもんか。A 安下宿ばかりころがり歩いた癖に。B 皮肉るない。今度の・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・とばかり吐息とともにいったのであるが、言外おのずからその明眸の届くべき大審院の椅子の周囲、西北三里以内に、かかる不平を差置くに忍びざる意気があって露れた。「どうぞまあ、何は措きましてともかくもう一服遊ばして下さいまし、お茶も冷えてしまい・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・こういうからとて、僕は君に対しまたこんどのお手紙に対し、けっして不平などあっていうのではないのだ。君をわかりの悪い人と思うていうのでもないのだ。 僕は考えた。 君と僕とは、境遇の差があまりにはなはだしいから、とうてい互いにあい解する・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・ て』冷かしてやったんけど大した意気込みで不平を云うとって、取り合わん。『こないなことなら、いッそ、割腹して見せてやる』とか、『鉄砲腹をやってやる』とか、なかなか当るべからざる勢いであったんや。然し、いよいよ僕等までが召集されることになって・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・けれども苦辛というは修辞一点張であったゆえ、私の如きは初めから少しも感服しないで明らさまに面白くないというと、頗る不平で、「君も少し端唄の稽古でもし玉え、」と面白くない顔をした。緑雨のデリケートな江戸趣味からは言文一致の飜訳調子の新文体の或・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・俺たちは、みんな人間の仕打ちに対して不平をもっているのだ。しかし、まだ、これを子細に視察してきたものがない。だれかを、人間のたくさん住んでいる街へやって、検べさせてみたいものだ。そして、よくよく人間が、不埓であったら、そのときは、復讐しよう・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・私がそのような小説を書くのがかねがね不平らしかった。良家の子女が読んでも眉をひそめないような小説が書いてほしいのであろう。私の小説を読むと、この作者はどんな悪たれの放蕩無頼かと人は思うに違いないと、家人にはそれが恥しいのであろう。親戚の女学・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 耕吉は酒でも飲むと、細君に向って継母への不平やら、継母へ頭のあがらぬらしい老父への憤慨やらを口汚なく洩らすことがあった。細君は今さらならぬ耕吉の、その日本じゅうにもないいい継母だと思っていたという迂愚さ加減を冷笑した。そして「私なんか・・・ 葛西善蔵 「贋物」
出典:青空文庫