・・・―諸君、議会における花井弁護士の言を記臆せよ、大逆事件の審判中当路の大臣は一人もただの一度も傍聴に来なかったのである――死の判決で国民を嚇して、十二名の恩赦でちょっと機嫌を取って、余の十二名はほとんど不意打の死刑――否、死刑ではない、暗殺―・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 断髪の娘は、不意に、天秤棒でお臀を殴られると、もろくそこへ、ヘタってしまった。「いたいッ」 娘は、金切声で叫びながら、断髪頭を振り向けて、善ニョムさんを睨んだ。「ど、どうしてくれる、この麦を!」 善ニョムさんは、その断・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・漫歩の途次、思いかけずその処に行き当ったので、不意のよろこびと、突然の印象とは思立って尋ねたよりも遥に深刻であった。しかもそれは冬の日の暮れかかった時で、目に入るものは蒼茫たる暮烟につつまれて判然としていなかったのも、印象の深かった所以であ・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・――これは提灯の火に相違ないとようやく判断した時それが不意と消えてしまう。 この火を見た時、余ははっと露子の事を思い出した。露子は余が未来の細君の名である。未来の細君とこの火とどんな関係があるかは心理学者の津田君にも説明は出来んかも知れ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・然るにその瞬間、不意に例の反対衝動が起って来る。そして逆に、「この馬鹿野郎!」と罵る言葉が、不意に口をついて出て来るのである。しかもこの衝動は、避けがたく抑えることが出来ないのである。 この不思議な厭な病気ほど、僕を苦しめたものはない。・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・不実に考えりゃア、無断で不意と出発て行くかも知れない。私はともかく、平田はそんな不実な男じゃない、実に止むを得ないのだ。もう承知しておくれだッたのだから、くどく言うこともないのだが……。お前さんの性質だと……もうわかッてるんだから安心だが…・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・あるいは夜分に外出することあり、不意に旅行することあり。主人は客の如く、家は旅宿の如く、かつて家族団欒の楽しみを共にしたることなし。用向きの繁劇なるがために、三日父子の間に言葉を交えざるは珍しきことにあらず。たまたまその言を聞けば、遽に子供・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・左千夫の家は本所の茅場町にあるので牡丹の頃には是非来いといわれて居たから今日不意に出て驚かしてやるつもりなのだ。格堂はさきへ往て左千夫の外出を止める役になった。 昼餉を食うて出よとすると偶然秀真が来たから、これをもそそのかして、車を並べ・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・ すると不意に流れの上の方から、 「ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ、ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ」とけたたましい声がして、うす黒いもじゃもじゃした鳥のような形のものが、ばたばたばたばたもがきながら、流れて参りました。 ホモ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ 始めて私が見た時から、彼等はきっと、いつ餌壺が満されるのかと、情けなく眺め、囀って居たに違いない。不意に赤い小鳥の屍を見た時より、私は相すまない心持に打たれた。 私は急いで粟の箱をさがした。そして、落し戸をあげ、餌壺を出して、塵を・・・ 宮本百合子 「餌」
出典:青空文庫