・・・しかしこの店もはやらないのかと思うと、夫のボオナスにも影響した不景気を感ぜずにはいられなかった。「気の毒だわね、こんなにお客がなくっては。」「常談言っちゃいけない。こっちはお客のない時間を選って来たんだ。」 それから夫はナイフや・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・すると偶然顔を合せたのは或会社にいるT君だった、僕等は電車を待っている間に不景気のことなどを話し合った。T君は勿論僕などよりもこう云う問題に通じていた。が、逞しい彼の指には余り不景気には縁のない土耳古石の指環も嵌まっていた。「大したもの・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 鼠色の壁と、不景気なガラス窓とに囲まれた、伽藍のような講堂には、何百人かの罹災民諸君が、雑然として、憔悴した顔を並べていた。垢じみた浴衣で、肌っこに白雲のある男の児をおぶった、おかみさんもあった。よごれた、薄いどてらに手ぬぐいの帯をし・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・いやどこも不景気で、大したほまちにはならないそうだけれど、差引一ぱいに行けば、家族が、一夏避暑をする儲けがある。梅水は富士の裾野――御殿場へ出張した。 そこへ、お誓が手伝いに出向いたと聞いて、がっかりして、峰は白雪、麓は霞だろう、とその・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・……そんなことを独り合点した事も思出しておかしいし、余り様子が変っているので、心細いようにもなって、ついうっかりして――活動写真の小屋が出来た……がらんとしている、不景気だな、とぎょっとして、何、昼間は休みなのだろう、にしておいたよ。そうい・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・爺婆交りで、泊の三衛門が百万遍を、どうでござりましょう、この湯治場へ持込みやがって、今に聞いていらっしゃい隣宿で始めますから、けたいが悪いじゃごわせんか、この節あ毎晩だ、五智で海豚が鳴いたって、あんな不景気な声は出しますまい。 憑物のあ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・お貞は、今に至るまでも、このことを言い出しては、軽蔑と悪口との種にしているが、この一、二年来不景気の店へ近ごろ最もしげしげ来るお客は青木であったから、陰で悪く言うものの、面と向っては、進まないながらも、十分のお世辞をふり撤いていた。 青・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・向地は思のほかの不景気なところから、銭占屋は今十五里も先の何やら町へ行っていて、そこから托されてきたとのことであった。 私は翌日故郷へ向けて出立した。 小栗風葉 「世間師」
・・・どうせ不景気な話だから、いっそ景気よく語ってやりましょう、子供のころでおぼえもなし、空想をまじえた創作で語る以上、できるだけおもしろおかしく脚色してやりましょうと、万事「下肥えの代り」に式で喋りました。当人にしかおもしろくないような子供のこ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・、しかし言っておくが、髪の型は変えることが出来ても、頭の型まで変えられぬぞと言ってやろうと思ったが、ふと鏡にうつった呉服屋の番頭のような自分の頭を見ると、何故か意気地がなくなってしまって、はあさよかと不景気な声で呟くよりほかに言葉も出なかっ・・・ 織田作之助 「髪」
出典:青空文庫