・・・ わたしは御不用意を責めるように、俊寛様の御顔を眺めました、ほんとうに当時の御主人は、北の方の御心配も御存知ないのか、夜は京極の御屋形にも、滅多に御休みではなかったのです。しかし御主人は不相変、澄ました御顔をなすったまま、芭蕉扇を使って・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 宿に外套を預けて来たのが、不用意だったと思うばかり、小県は、幾度も襟を引合わせ、引合わせしたそうである。 この森の中を行くような道は、起伏凹凸が少く、坦だった。がしかし、自動車の波動の自然に起るのが、波に揺らるるようで便りない。埃・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・二人でばかにする……この不用意な言葉が、私の腹のどん底へ、重い弾丸を投じたものだ。なるほどそんな風に考えたのか、火鉢の傍を離れて自分はせっせと復習をしている、母や妹たちのことを悲しく思いだしているところへ、親父は大胡座を掻いて女のお酌で酒を・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・森のまた、帰る方の道には、腕関節からはすかいに切り落された手や、足の這入った靴が片方だけ、白い雪の上に不用意に落されてあった。手や足は、靴と共にかたく、大理石の模型のように白く凍っていた。 日本軍が捕虜を殺したのではない。しかし、暴虐に・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・そう不用意に言ってしまって、ひやとした。自分のそんな世俗の評語が、芸術家としての相手の誇りを傷けはせぬかと、案じられた。「芸術の制作衝動と、」すこしとぎれた。あとの言葉を内心ひそかにあれこれと組み直し、やっと整理して、さいごにそれをもう一度・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ 読者あるいは、諸作家の書簡集を読み、そこに作家の不用意きわまる素顔を発見したつもりで得々としているかも知れないが、彼等がそこでいみじくも、掴まされたものはこの作家もまた一日に三度三度のめしを食べた、あの作家もまた房事を好んだ、等々の平・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ もう一つ特に私が宇都野さんに望む所は、時々はもう少し不用意な、読みっ放しの云わばもっとそつのある歌をよんで見せて頂きたいと思う事である。これは無理かも知れないが、ただ私だけの希望である。 最後に私は宇都野さんの歌集が近き将来に世に・・・ 寺田寅彦 「宇都野さんの歌」
・・・周囲のアメリカン・シチズンスの不用意な表情姿態の上に反映したフーヴァーのほうがはるかに多くフーヴァーその人を物語るのである。半分はフーヴァーを写し半分は聴衆のほうにカメラを向けたのを撮ったほうが有効である。 こういう現実味からいうと演劇・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 前記の小説家もこんなことぐらいはもちろん承知の上でそれとは少し別の意味でそう云ったには相違ないが、しかし不用意に読み流した読者の中には著者の意味とちがった風に解釈して、それだから概括的に小説は高級なもので随筆は低級なものであるという風・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ 一本の稲の穂を教材とするのでも、一生懸命骨を折って三日も四日も徹夜して教程をこしらえてかかるからかえっていけないではないかと思う。不用意に取って来た一草一木を机上に置いて一時間のあいだ無言で児童といっしょにひねくり回したり虫めがねで見・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
出典:青空文庫