・・・息子さんは誰やらと札の引張合いをして勝ったのが愉快だというので、大声に笑った拍子に、顎が両方一度に脱れた。それから大騒ぎになって、近所の医者に見て貰ったが、嵌めてはくれなかった。このままで直らなかったらどうしようというので、息子よりはお上さ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ ツァウォツキイはようよう鉄道の堤に攀じ上った。両方の目から涙がよごれた顔の上に流れた。顔の色は蒼ざめた。それから急にその顔に微笑の影が浮かんで、口から「ユリア、ユリア」と二声の叫が洩れた。ユリアとは女房の名である。ツァウォツキイは小刀・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・二人は顔も動かさずに黙って両方へ擦れ違った。「あのう、ちょっと、」と母は呼びとめた。 彼は振り向いて黙っていた。「今夜は、キーボ、危いわね。」「危い。」と彼はいった。 二人はそのまま筒のような廊下の真中に立ち停っていた。・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫