・・・皆は火鉢の縁に両足をかけて、あたっていた。「火」を見たのは、それが始めてだった。俺はその隅の方で身体検査をされた。「これは何んだ?」 袂を調べていた看守が、急に職業柄らしい顔をして、何か取り出した。俺は思わずギョッとした。――だが、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ 老人はそのがっしりした体で、ごつごつした頭を前屈みにして、両足で広く地面を踏んで立って、青年の顔を見詰めている。思い掛けない事なので、呆れて目をいて、丁度電にでも撃たれたように、両腕を物を防ぐような形に高く上げて一歩引き下がった。そし・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・それから、馬に乗って、あぶみへ両足をかけて見ますと、それもちゃんと、じぶんの脚の長さに合っています。 ウイリイは、そのまま世の中に出て、運だめしをして来たくなりました。それですぐに双親にそのことを話して、いさんで出ていきました。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・今思って見ればわたしはお前さんにじりじり引き寄せられていたのだわ。両足を括って水に漬られているようなもので、幾らわたしが手を働かして泳ぐ積りでも、段々と深みへ這入って、とうとう水底に引き込まれるんだわ。その水底にはお前さんが大きな蟹になって・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・深夜、裸形で鏡に向い、にっと可愛く微笑してみたり、ふっくらした白い両足を、ヘチマコロンで洗って、その指先にそっと自身で接吻して、うっとり眼をつぶってみたり、いちど、鼻の先に、針で突いたような小さい吹出物して、憂鬱のあまり、自殺を計ったことが・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・かえて饗宴の室にこっそり這入って来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶと注いで御足まで濡らしてしまって、それでも、その失礼を詫びるどころか、落ちついてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいに拭ってあげて、香油の匂い・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・はじめは両足を重い荷物のようにひきずり歩いていたのが、おしまいには、両足が立派な独立の存在となって自分で自分を運搬するばかりか、楽々とからだのほうをかつぎ歩くようになって来た。この傾向がどこまでも続いたら、おしまいには昔話の仙人のように雲に・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・引っ返して追い駆けてやったら、とは思いながら自分の両足はやはり惰性的に歩行を続けて行った。 女房にでも逃げられた不幸な肺病患者を想像してみた。それが人づてに、その不貞の妻が玉の井へんにいると聞いて、今それを捜しに出かけるのだと仮定してみ・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・縄でしばった南京袋の前だれをあてて、直径五寸もある大きな孟宗竹の根を両足の親指でふんまえて、桶屋がつかうせんという、左右に把手のついた刃物でけずっていた。ガリ、ガリ、ガリッ……。金ぞくのようにかたい竹のふしは、ときどきせんをはねかえしてから・・・ 徳永直 「白い道」
・・・生れ落ちてから畳の上に両足を折曲げて育った揉れた身体にも、当節の流行とあれば、直立した国の人たちの着る洋服も臆面なく採用しよう。用があれば停電しがちの電車にも乗ろう。自動車にも乗ろう。園遊会にも行こう。浪花節も聞こう。女優の鞦韆も下からのぞ・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫