・・・帳合いを手伝う。中元の進物の差図をする。――その合間には、じれったそうな顔をして、帳場格子の上にある時計の針ばかり気にしていました。 そう云う苦しい思いをして、やっと店をぬけ出したのは、まだ西日の照りつける、五時少し前でしたが、その時妙・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・それがちょうど中元の頃で、この土地の人々は昔からの風習に従って家々で草を束ねた馬の形をこしらえ、それを水辺に持出しておいてから、そこいらの草を刈ってそれをその馬に喰わせる真似をしたりしていた。この草で作った馬の印象が妙になまなましく自分のこ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・正月に初夢の宝船を売る声は既に聞かれなくなったが、中元には猶お迎いお迎いの声を聞く。近年麻布辺の門巷には、春秋を問わず宿雨の霽れる折を窺って、「竿竹や竿竹」と呼んで物干竿を売りに来るものがある。幾日となく降りつづいた雨のふと霽れて、青空の面・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・本日たまたま中元、同社、手から酒肴を調理し、一杯をあげて、文運の地におちざるを祝す。 慶応四年戊辰七月慶応義塾同社 誌 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・お盆のとき浅吉とおゆきとは連立ってお中元に来た。こまかいたて縞のすきとおる着物にうすい羽織を着た浅吉は、白扇をパチリ、パチリ鳴らしながらあんまり物を云わず、笑いもせず、木菟のような眼の丸い頬ぺたのふくらんだ顔で坐っている。そのすこし斜うしろ・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・白居易の亡くなった宣宗の大中元年に、玄機はまだ五歳の女児であったが、ひどく怜悧で、白居易は勿論、それと名を斉ゅうしていた元微之の詩をも、多く暗記して、その数は古今体を通じて数十篇に及んでいた。十三歳の時玄機は始て七言絶句を作った。それから十・・・ 森鴎外 「魚玄機」
出典:青空文庫