・・・を交換したり「獄内中央委員会」というものさえ作っている、そして例えば、外部の「モップル」と連絡をとって、実際の運動と結びつこうとしたり、内では全部が結束して「獄内待遇改善」の要求を提出しようとしているそうだ。 彼奴等がわれ/\をひッつか・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・それを峠の上から村の中央にある私たちの旧家の跡に移し、前の年あたりから大工を入れ、新しい工事を始めさせていた。太郎もすでに四年の耕作の見習いを終わり、雇い入れた一人の婆やを相手にまだ工事中の新しい家のほうに移ったと知らせて来た。彼もどうやら・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・石川博士など実地に深山を歩きまわって調べてみて、その結果、岐阜の奥の郡上郡に八幡というところがありまして、その八幡が、まあ、東の境になっていて、その以東には山椒魚は見当らぬ、そうして、その八幡から西、中央山脈を伝わって本州の端まで山椒魚はい・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ 戸内を覗くと、明らかな光、西洋蝋燭が二本裸で点っていて、罎詰や小間物などの山のように積まれてある中央の一段高い処に、肥った、口髭の濃い、にこにこした三十男がすわっていた。店では一人の兵士がタオルを展げて見ていた。 そばを見ると、暗・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・昭和九年九月二十九日の早朝新宿駅中央線プラットフォームへ行って汽車を待っていると、湿っぽい朝風が薄い霧を含んでうそ寒く、行先の天気が気遣われたが、塩尻まで来るととうとう小雨になった。松本から島々までの電車でも時々降るかと思うとまた霽れたりし・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・鉄の門の内側は広大な熊本煙草専売局工場の構内がみえ、時計台のある中央の建物へつづく砂利道は、まだつよい夏のひざしにくるめいていて、左右には赤煉瓦の建物がいくつとなく胸を反らしている。―― いつものように三吉は、熊本城の石垣に沿うてながい・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 京橋区内では○木挽町一、二丁目辺の浅利河岸○新富町旧新富座裏を流れて築地川に入る溝渠○明石町旧居留地の中央を流れた溝渠。むかし見当橋のかかっていた川○八丁堀地蔵橋かかりし川、その他。 日本橋区内では○本柳橋かかりし薬研堀の溝渠・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・出刃が喉から腹の中央を過ぎて走った。ぐったりとなった憐れな赤犬は熟睡した小児が母の手に衣物を脱がされるように四つの足からそうして背部へと皮がむかれた。致命の打撲傷を受けた頸のあたりはもう黒く血が凝って居た。裸にされた犬は白い歯を食いしばって・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・彼は田舎に閑居して都の中央にある大伽藍を遥かに眺めたつもりであった。余は三度び首を出した。そして彼のいわゆる「倫敦の方」へと視線を延ばした。しかしウェストミンスターも見えぬ、セント・ポールズも見えぬ。数万の家、数十万の人、数百万の物音は余と・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・今いった如く、二階が図書室になっていて、その中央の大きな室が閲覧室になっていた。しかし選科生はその閲覧室で読書することがならないで、廊下に並べてあった机で読書することになっていた。三年になると、本科生は書庫の中に入って書物を検索することがで・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
出典:青空文庫