・・・私は町の或る狭い横丁から、胎内めぐりのような路を通って、繁華な大通の中央へ出た。そこで目に映じた市街の印象は、非常に特殊な珍しいものであった。すべての軒並の商店や建築物は、美術的に変った風情で意匠され、かつ町全体としての集合美を構成していた・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
四十年来の暑さだ、と、中央気象台では発表した。四十年に一度の暑さの中を政界の巨星連が右往左往した。 スペインや、イタリーでは、ナポレオンの方を向いて、政界が退進した。 赤石山の、てっぺんへ、寝台へ寝たまま持ち上げら・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・たとえば西洋各国相対し、日本と支那朝鮮と相接して、互に利害を異にするは勿論、日本国中において封建の時代に幕府を中央に戴て三百藩を分つときは、各藩相互に自家の利害栄辱を重んじ一毫の微も他に譲らずして、その競争の極は他を損じても自から利せんとし・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・(首を振りつつ徐思えば人というものは、不思議なものじゃ。解すべからざるものをも解し、文に書かれぬものをも読み、乱れて収められぬものをも収めて、終には永遠の闇の中に路を尋ねて行くと見える。(中央の戸より出で去り、詞の末のみ跡に残る。室内寂とし・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・市区改正はどれだけ捗取ったか、市街鉄道は架空蓄電式になったか、それとも空気圧搾式になったかしらッ。中央鉄道は聯絡したかしらッ。支那問題はどうなったろう。藩閥は最う破れたかしらッ。元老も大分死んでしまったろう。自分が死ぬる時は星の全盛時代であ・・・ 正岡子規 「墓」
・・・その証拠には、第一にその泥岩は、東の北上山地のへりから、西の中央分水嶺の麓まで、一枚の板のようになってずうっとひろがっていました。ただその大部分がその上に積った洪積の赤砂利や※す。」私が挨拶しましたらその人は少しきまり悪そうに笑って、「・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ 作家、記者は、彼等の手帖が濡れると紫インクで書いたような字になる化学鉛筆とをもって、やっぱり集団農場を中心として新生活のはじめられつつある農村へ、漁場へ、辺土地方(中央亜細亜へ出かけた。作家の団体は有志者を募集し、メイエルホリドの若手・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・長安で北支那の土埃をかぶって、濁った水を飲んでいた男が台州に来て中央支那の肥えた土を踏み、澄んだ水を飲むことになったので、上機嫌である。それにこの三日の間に、多人数の下役が来て謁見をする。受持ち受持ちの事務を形式的に報告する。そのあわただし・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・が、涙も拭かず、往還の中央に突き立っていてから、街の方へすたすたと歩き始めた。「二番が出るぞ。」 猫背の馭者は将棋盤を見詰めたまま農婦にいった。農婦は歩みを停めると、くるりと向き返ってその淡い眉毛を吊り上げた。「出るかの。直ぐ出・・・ 横光利一 「蠅」
・・・またスーダンの国家の特有の組織はイスラムよりもはるか前からあり、ニグロ・アフリカの耕作や教育の技術、市民的な秩序や手工芸などは、中央ヨーロッパにおけるよりも千年も古いのである。「アフリカ的なるもの」は、要約して言えば、合目的的、峻厳、構・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫