・・・古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語の good sense である。わたしの信ずるところによれば、グッドセンスを待たない限り、如何なる幸福も得ることは出来ない。もしそれでも得られるとすれば、炎天に炭火を擁したり、大寒に団扇を揮っ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ ある者は中庸ということを言った。多くの人はこれをもって二つの道を一つの道になしえた努力だと思っている。おめでたいことであるが、誠はそうではない。中庸というものは二つの道以下のものであるかもしれないが、少なくとも二つの道以上のものではな・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ご存じであろうけれども、南方の強、北方の強、という言葉は、中庸第十章にも見えているようであるが、それとこれとの間に於いては別段、深い意味もないように、私には思われる。とにかく黄村先生は、ご自分で大いなる失敗を演じて、そうしてその失敗を私たち・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・カルネラはそんなことなどは問題にしないと見えて絶えず攻勢を持続するのはよいが、やみなしに中庸な突きを繰り返しているのは、仕事の経済から見ても非常に能率の悪いしかたで、無益の動作に勢力をなしくずしに浪費しているように見えるのであった。ベーアは・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・例えば孔子の教えた中庸ということでも解釈のしようによっては「いつも半分風邪を引いているように」という風に受取れるかもしれない。生まれてから七、八十歳で死ぬまで一度も風邪を引かないような人があったら、はたが迷惑かもしれない。クリストに云わせて・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・「世間は今までそこに生きていたのと全く同じような中庸な、特色も理想も圭角も持っていない人間にしか生きる道を与えないのだ」と、いずれかと云えばありふれすぎる市民の感情で世間とは受け身に対している。 幽鬼の「街と村」とは、後篇の抒情性そのも・・・ 宮本百合子 「観念性と抒情性」
・・・金銭をめぐって煮え立ち、金持は無趣味で仰々しい厚顔の放埒に溺れ、金を持たぬものは、持たぬ金を更に失うことを恐れて、偽善的に「中庸」を守る俗人生活にくくりつけられた。オノレ・ド・バルザックはパリの屋根裏から昂然と太い頸をもたげ、南方フランス人・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・に対する藤村のつよい肯定的執着、その地味な根づよい営みということに幸福と「中庸の道」即ち時代的変化の血、人間のよってもって立つところをおいている点、何か都会の小市民的インテリゲンツィアというには云い切れぬ粘り、あくどさ、くい下りがある。藤村・・・ 宮本百合子 「「夜明け前」についての私信」
出典:青空文庫