なかむらあきひこ【中村彰彦】
[1949〜 ]小説家。栃木の生まれ。本名、加藤保栄 (やすえい) 。幕末・維新に生きる群像に題材をとった小説を執筆する。「二つの山河」で直木賞受賞。他に「明治新選組」「五左衛門坂の敵討 (かたきうち) 」「落花は枝に還らずとも」など。
なかむらうたえもん【中村歌右衛門】
歌舞伎俳優。屋号は初世と3世は加賀屋、2世は蛭子 (えびす) 屋、4世から成駒 (なりこま) 屋。 (初世)[1714〜1791]金沢の人。医師の子。京坂で敵役の名人となった。 (3世)[1778〜1838]初世の子。俳名、芝翫 (しかん) ・梅玉 (ばいぎょく) 。ほとんどの役柄をこなし、3都を通じて文化・文政期(1804〜1830)随一の名優といわれた。 (4世)[1798〜1852]3世の門人、中村藤太郎。江戸の人。俳名、翫雀。時代物と所作事にすぐれた。 (5世)[1866〜1940]4世中村芝翫の養子。東京の人。その美貌と品格のある演技から、明治・大正・昭和の歌舞伎界で名女方といわれた。 (6世)[1917〜2001]5世の子。東京の人。文化功労者・人間国宝。昭和54年(1979)文化勲章受章。
なかむらがくりょう【中村岳陵】
[1890〜1969]日本画家。静岡の生まれ。本名、恒吉 (つねきち) 。日本画の伝統的技法に近代西欧絵画の表現を取り入れた独自の画風を確立。大阪四天王寺金堂壁画を制作した。文化勲章受章。
なかむらかんえもん【中村翫右衛門】
[1901〜1982]歌舞伎俳優。3世。屋号、成駒屋。東京の生まれ。昭和6年(1931)河原崎長十郎と前進座を創立。歌舞伎の革新に尽力した。
なかむらかんざぶろう【中村勘三郎】
歌舞伎俳優。 (初世)[1598〜1658]山城の人。屋号、柏屋。寛永元年(1624)江戸中橋に江戸で最初の歌舞伎劇場猿若座を創立、のち中村座と改称。以後代々俳優と座元を継承。猿若勘三郎。 (17世)[1909〜1988]東京の生まれ。3世中村歌六の三男。本名、波野聖司 (なみのせいじ) 。屋号、中村屋。初世中村吉右衛門の弟。義父6世尾上菊五郎の芸風を受け継ぎ、特に世話物に独自の芸境を示した。昭和55年(1980)文化勲章受章。 (18世)[1955〜2012]東京の生まれ。17世の長男。本名、波野哲明 (のりあき) 。屋号、中村屋。5世中村勘九郎 (かんくろう) として初舞台を踏み、その後も幅広い役柄をこなし人気俳優として活躍。平成17年(2005)18世中村勘三郎を襲名。ニューヨークやベルリンなど海外での公演を成功させたほか、現代演劇やテレビドラマ・映画でも活躍した。
なかむらがんじろう【中村鴈治郎】
歌舞伎俳優。屋号、成駒 (なりこま) 屋。 (初世)[1860〜1935]大阪の生まれ。3世中村翫雀 (かんじゃく) の子。京阪の代表的名優で、上方の和事 (わごと) ・実事 (じつごと) をよくした。 (2世)[1902〜1983]大阪の生まれ。初世の次男。上方歌舞伎の大立て者。上方和事系の義太夫狂言の諸役を中心に円熟した技芸を示した。 (3世)⇒坂田藤十郎
なかむらきちえもん【中村吉右衛門】
歌舞伎俳優。屋号、播磨 (はりま) 屋。 (初世)[1886〜1954]東京の生まれ。3世中村歌六の長男。9世市川団十郎の芸風を継承し、立役を得意とした。6世尾上菊五郎と菊吉時代をつくった名優。文化勲章受章。 (2世)[1944〜2021]東京の生まれ。初世松本白鸚 (はくおう) の次男。の芸風を継承して活躍。松貫四 (まつかんし) の筆名で歌舞伎の脚本も手掛けたほか、テレビドラマにも出演するなど、広く親しまれた。人間国宝。
なかむらきちぞう【中村吉蔵】
[1877〜1941]劇作家・演劇学者。島根の生まれ。欧米に留学。帰国後は芸術座に参加し、近代劇運動で活躍した。戯曲「剃刀」「井伊大老の死」「星亨 (ほしとおる) 」、論文「日本戯曲技巧論」など。
なかむらく【中村区】
⇒中村
なかむらくさたお【中村草田男】
[1901〜1983]俳人。中国アモイの生まれ。本名、清一郎。「ホトトギス」の同人。新興俳句に対して批判的立場をとった。のち、「万緑」を創刊、主宰。句集「長子」「銀河依然」「美田」など。