・・・「森さんのおかあさんが丹精してくだすったごちそうもある――下諏訪の宿屋からとうさんの提げて来た若鷺もある――」「こういう田舎にいますと、酒をやるようになります。」と、森さんが、私に言ってみせた。「どうしても、周囲がそうだもんですから。」・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・丁度、国から持って来た着物の中には、胴だけ剥いで、別の切地をあてがった下着があった。丹精して造ったもので、縞柄もおとなしく気に入っていた。彼女はその下着をわざと風変りに着て、その上に帯を締めた。 直次の娘から羽織も掛けて貰って、ぶらりと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・こんにゃく屋さん、これはうちの旦那さまが丹精していらッしゃるお菜園だよ、ホンとにまァ」 奥さんは、私の足もとから千切れた茄子の枝をひろいあげると、いたましそうにその紫色の花をながめている。私もほんとに申訳ないことをしたと思った。私も子供・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・それでもそれは単に彼一人の丹精ではなくて壻の文造が能くぶつぶついわれながら使われた。お石が来なくなってから彼は一意唯銭を得ることばかり腐心した。其年は雨が順よく降った。彼はいつでも冬季の間に肥料を拵えて枯らして置くことを怠らなかった。西瓜の・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ただ、丹精な、いつも仕事をしていた御隠居という印象が、大した情も伴わずあるだけなのだ。 二日目の通夜が、徐々朝になりかけて来ると、私は今日限りの別れが云いようなく惜まれて来た。早朝の寒い空気の中で御蝋燭を代え、暫く棺を見守り、父の処へ行・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
出典:青空文庫