・・・その後のブルジョア文学は、一二の作品で農民を題材としていることがあっても、ほとんど大部分が主として、小ブルジョア層や、インテリゲンチャにチヤホヤして、農民をば、一寸、横目でにらんだだけで素通りしてしまった。それはブルジョア文学としては当然で・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・りません、馬琴の前後の小説、――いわゆる当時の実社会をそのまま描写することを主とした、小説ともいえぬほど低微なものでありますが、それらの小説は描写が実社会の急所にあたってること、即ちウガチということを主として居るものであります。そのウガチを・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・君の感興を主として、濶達に書きすすめて下さい。君ほどの作家の小説には、成功も失敗も無いものです。 あの温泉宿の女中さん達は、自分の拝見したところに依ると、君をたいへん好いているようでしたね。けれども君の手紙に依れば、君は散々の恥辱を与え・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・日本には、戦争を主として描写する作家も居りますけれど、また、戦争は、さっぱり書けず、平和の人の姿だけを書きつづけている作家もあります。きのう永井荷風という日本の老大家の小説集を読んでいたら、その中に、「下々の手前達が兎や角と御政事向の事・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・ 私の調べてみたのは主として人物、特に女性を描いたものである。しかし以下にいうところの命題の大部分は、適当に翻訳する事によって風景画にも応用されるだろうと思っている。 浮世絵の画面における黒色の斑点として最も重要なものは人物の・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・おもしろいのは主として編集の技巧から来る呼吸のおもしろさであると思う。たとえば拍手している多数の手がスクリーンの上に対角線状に並んで映る。それ自身としてはくだらないものである。これが插入の呼吸で実に不思議なおもしろいものに見えるのである。そ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
戦争後に流行しだしたものの中には、わたくしのかつて予想していなかったものが少くはない。殺人姦淫等の事件を、拙劣下賤な文字で主として記載する小新聞の流行、またジャズ舞踊の劇場で婦女の裸体を展覧させる事なども、わたくしの予想し・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・この方面は主として心理学者と云うものが専門として担任しているから、これらの人に聞くのが一番わかりやすい。もっとも心理学者のやる事は心の作用を分解して抽象してしまう弊がある。知情意は当を得た分類かも知れぬが、三つの作用が各独立して、他と交渉な・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・デカルトは此に人に説くためにということを主として考えているようであるが、徹底的な懐疑的自覚、何処までも否定的分析ということは、哲学そのものに固有な、哲学という学問そのものの方法でなければならない。私は哲学の方法を否定的自覚、自覚的分析と考え・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・私の頃は高校ではドイツ語を少ししかやらなかったので、最初の一年は主として英語の注釈の附いたドイツ文学の書を読んだ。 その頃の哲学科は、井上哲次郎先生も一両年前に帰られ、元良、中嶋両先生も漸く教授となられたので、日本人の教授が揃うたのだが・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
出典:青空文庫