・・・からの脱却、伝統的な主情性の克服の可能も、文学が人民のリアリスティックな発展の可能性とそのための多種多様な行為とともにあってはじめて見出されるのである、と。この場合、国際的なプロレタリア文学運動が、二十世紀の世界文学の一発展としてもたらした・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・日本は、いく久しい封建の社会生活の間に、文学はいつもある意味で人間性の流露をもとめるその本質にしたがって、苦しい現実からの脱出であり、主情的ならざるをえなかった。自然主義の流れさえ、日本文学の伝統の岸にうちよせれば、それはおのずから変化して・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・それを、日本の知識人の悲運という風に主情的に語るだけでは、それ自体、その人たちも排撃している日本の文学精神の主情性であり、理性の譲歩ではなかろうか。 わたしたちは、よくよく思いおこさなければならない。かつて日本人民の運命が東條政府によっ・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・日本文学は、その歴史の発端から、風流を文学の芸術性の骨子として、社会生活から或る程度離脱した位置に自身をおいた知性と感性との表現としての伝統をもって来た。日本文学は主情的な文学の特質をもっていたといわれている。その原因には少くとも芸術に向う・・・ 宮本百合子 「生活においての統一」
・・・の、感覚にたより主情に流れる生活と文学の基本的方法によって、美という仮りの調和体を構成してゆくことにはあきたりなくなっているのだ。日本を反映しつつも、日本の可能を展望する文学が欲望される。この欲望ははげしく感覚されるもので、人間に理性を肯定・・・ 宮本百合子 「人間性・政治・文学(1)」
出典:青空文庫