・・・後で考えるとあの飲料の匂の主調をなすものが、やはりこの杏仁水であったらしい。 明治二十年代の片田舎での出来事として考えるときに、この杏仁水の饗応がはなはだオリジナルであり、ハイカラな現象であったような気がする。 大学在学中に、学生の・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ 以上のごとき立場から見てこれと反対な位置にあるものは、色々の事実や事件の平坦な叙述的描写を主調とした作物、例えば物語や写生文のごときものであろう。そこでは少なくも作者は黒幕の後ろに隠れて、舞台の上では事実をして事実を語らしめ、物をして・・・ 寺田寅彦 「文学の中の科学的要素」
・・・が柔かな紅い色の曲線で描かれたクロッキーであり、その主調がひろ子の愛の情であるにしろ、そのような愛の流露が可能とされている歴史の過程と一貫した階級的な立場の本質は、たたかいとられた生の肯定その発展として作品の隅々にまで鳴っている。「風知草」・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・ここから、四人称という観念の発明が提出されているにも拘らず、作品の主調はあり合わす現実に屈服して全く通俗化の方向を辿るばかりとなった。 観念的な用語の上では一見非常に手がこんでいるように見えて、内実は卑俗なものへの屈従であるような現実把・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・にもこの感情が主調をなしている。ジョン・ハーシーという人にあらわれているアメリカのプラグマティズムのプラスの面が、この作品に人間らしい生命をふきこんだ。天津に生れ育ったアメリカ人のハーシーが「アダノの鐘」の主人公としてイタリー系のジョボロ少・・・ 宮本百合子 「「ヒロシマ」と「アダノの鐘」について」
・・・文芸映画とその観客の層との生きた関係でみると観客そのものがそもそも気分的なものに誘われて、気分的な主調でつくられた映画を観て益々現代に生きる自分たちの或る気分に靠れかかるような場合も想像されなくはない。今日のいい評判というようなものの実際の・・・ 宮本百合子 「観る人・観せられる人」
・・・そして、仔細に作品の現実に入ってながめると、この作家が作品の主調として主観的に提出しているこの人生におけるある道義、正義、誠意というものの実質が、もし真実この社会に要求されているならば、当然その可能のために作者がよく云うとおり、望む望まない・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫