・・・四月の末だというのに、湿気を含んだ夜風が、さらさらと辻惑いに吹迷って、卯の花を乱すばかり、颯と、その看板の面を渡った。 扉を押すと、反動でドンと閉ったあとは、もの音もしない。正面に、エレベエタアの鉄筋が……それも、いま思うと、灰色の魔の・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・と忙しく張上げて念じながら、舳を輪なりに辷らして中流で逆に戻して、一息ぐいと入れると、小波を打乱す薄月に影あるものが近いて、やがて舷にすれすれになった。 飛下りて、胴の間に膝をついて、白髪天頭を左右に振ったが、突然水中へ手を入れると、朦・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・湖と、船大工と、幻の天女と、描ける玉章を掻乱すようで、近く歩を入るるには惜いほどだったから…… 私は――(これは城崎関弥 ――道をかえて、たとえば、宿の座敷から湖の向うにほんのりと、薄い霧に包まれた、白砂の小松山の方に向ったので・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ その燃えさしの香の立つ処を、睫毛を濃く、眉を開いて、目を恍惚と、何と、香を散らすまい、煙を乱すまいとするように、掌で蔽って余さず嗅ぐ。 これが薬なら、身体中、一筋ずつ黒髪の尖まで、血と一所に遍く膚を繞った、と思うと、くすぶりもせず・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ と、掌をもじゃもじゃと振るのが、枯葉が乱れて、その頂の森を掻乱すように見え、「何かね、その赤い化もの……」「赤いのが化けものじゃあない――お爺さん。」「はあ、そうけえ。」 と妙に気の抜けた返事をする。「……だから、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・志して詣でた日に、折からその紅の時は女の児、白い時は男の児が産れると伝えて、順を乱すことをしないで受けるのである。 右左に大な花瓶が据って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、囲の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多しい。白菊黄菊、大輪・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 上野に着いたのは午後の九時半、都に秋風の立つはじめ、熊谷土手から降りましたのがその時は篠を乱すような大雨でございまして、俥の便も得られぬ処から、小宮山は旅馴れてはいる事なり、蝙蝠傘を差したままで、湯島新花町の下宿へ帰ろうというので、あ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ みだらだの、風儀を乱すの、恥を曝すのといって、どうする気だろう。浪で洗えますか、火で焼けますか、地震だって壊せやしない。天を蔽い地に漲る、といった処で、颶風があれば消えるだろう。儚いものではあるけれども――ああ、その儚さを一人で身に受・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・普通、好人物の如く醜く動転、とり乱すようなことは致しません。やるなら、やれ、と糞度胸を据え、また白樺の蔭にひたと身を隠して、事のなりゆきを凝視しました。 やるならやれ。私の知った事でない。もうこうなれば、どっちが死んだって同じ事だ。二人・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・友人は苦労人で、ちゃんとできた人であるから、醜くとり乱すこともなく、三七、二十一日病院に通い、注射を受けて、いまは元気に立ち働いているが、もしこれが私だったら、その犬、生かしておかないだろう。私は、人の三倍も四倍も復讐心の強い男なのであるか・・・ 太宰治 「畜犬談」
出典:青空文庫