・・・罪業の深い彼などは妄りに咫尺することを避けなければならぬ。しかし今は幸いにも無事に如来の目を晦ませ、――尼提ははっとして立ちどまった。如来はいつか彼の向うに威厳のある微笑を浮べたまま、安庠とこちらへ歩いている。 尼提は糞器の重いのを厭わ・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・それは、人間を信ずるの余り、思わぬ災害に逢着する事実から、お互に、妄りに信ずべからずとさえ思うに至ったのである。 人間が、人間を信じてならないということは、正しいことだろうか。また、みだりに知らない人を信ずることができないという、それ等・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・雑沓 都人何ぞ雑沓して来往無二昼夜一 来往すること昼夜を無するや或連レ袂歌呼 或は袂を連ねて歌呼し或謔浪笑罵 或は謔浪笑罵す或拗レ枝妄抛 或は枝を拗りて妄りに抛て或被レ酒僵臥 或は酒・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ なお余論として以上二種の文芸の特性についてちょっと比較してみますと、浪漫派は人の気を引立てるような感激性の分子に富んでいるには違ないが、どうも現世現在を飛び離れているの憾みを免かれない。妄りに理想界の出来事を点綴したような傾があるかも・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・前後を切断せよ、妄りに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働けというのが乃公の主義なのである。しかるに国へ帰れば楽ができるからそれを楽しみに辛防しようと云うのははかない考だ。国へ帰れば楽をさせると受・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・既に之を所有すれば其安全を謀り其用法を工夫し、世間の事情を察し又人の言を聞き、妄りに疑う可らず妄りに信ず可らず、詰り自分一人の責任にこそあれば、之に処するの法決して易からず。西洋諸国良家の女子には此辺の事に就て漠然たらざる者多しと言う。等閑・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・しかしながらすでに妄りに人の居ない座敷の中に出現して、箒の音を発した為に、その音に愕ろいて一寸のぞいて見た子供が気絶をしたとなれば、これは明らかな出現罪である。依って今日より七日間当ムムネ市の街路の掃除を命ずる。今後はばけもの世界長の許可な・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
出典:青空文庫