・・・嘗乱心者を取り抑えた際に、三右衛門ほか一人の侍は二人とも額に傷を受けた。しかも一人は眉間のあたりを、三右衛門は左の横鬢を紫色に腫れ上らせたのである。治修はこの二人を召し、神妙の至りと云う褒美を与えた。それから「どうじゃ、痛むか?」と尋ねた。・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・修理は一門衆はもとより、家来にも見離された乱心者じゃ。」 そう云いながら、彼の声は、次第に感動のふるえを帯びて来た。見れば、眼も涙ぐんでいる。「世の嘲りはうける。家督は人の手に渡す。天道の光さえ、修理にはささぬかと思うような身の上じ・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・国王は乱心か。」「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・貴殿らはそれがしを乱心者のように思われるであろうが、全くさようなわけではない。父弥一右衛門は一生瑕瑾のない御奉公をいたしたればこそ、故殿様のお許しを得ずに切腹しても、殉死者の列に加えられ、遺族たるそれがしさえ他人にさきだって御位牌に御焼香い・・・ 森鴎外 「阿部一族」
某儀今年今月今日切腹して相果候事いかにも唐突の至にて、弥五右衛門奴老耄したるか、乱心したるかと申候者も可有之候えども、決して左様の事には無之候。某致仕候てより以来、当国船岡山の西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫