・・・しかし自由を現象界から駆逐して英知的の事柄としたのでは、一般にカントの二元論となり終わり、われわれの意識を超越した英知的性格の行為にわれわれが責任を持つということが無意味になってしまう。 ハルトマンはかかる積極的な規定者がわれわれの意識・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・お医者の世界観は、原始二元論ともいうべきもので、世の中の有様をすべて善玉悪玉の合戦と見て、なかなか歯切れがよかった。私は愛という単一神を信じたく内心つとめていたのであるが、それでもお医者の善玉悪玉の説を聞くと、うっとうしい胸のうちが、一味爽・・・ 太宰治 「満願」
・・・という二元論は成り立たぬであろう。古い伝統がそれを嫌っていようとも生活が社会の合理的発展を熾烈に要求せざるを得ない状態に立ち至っていたとすれば、その要求によって必然的にかえられる古い精神が、そっくり元のままの古い精神であることは絶対にあり得・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ 自分は、二元論者ではない。其故、或時代の人々のように、人間が――異性の間に於て、魂と魂との交通に於てのみ真実な愛の価値があるとは思わない。 然し、結局に於て収穫と成るものは何かと云えば、経験の綜合から起る真理への進展である。そして・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
・・・新しい文学の理論は、過去の芸術性の永遠普遍という観念に対して、その一般論を否定して立ったのであったが、当時は、作品の内容としての世界観、形式としての芸術性という風な、過去の二元論に足を取られていて、芸術性というものの本来の在りようは、作品に・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 表面的に理解すると、精神や肉体が全く二元論的に見られているようにもとられるその標語で「馬骨団始末記」の作者は、これまでの純文学作家たちがしていたように、単純な一つの行為をするだけにさえ三十枚、四十枚とその心理的過程を追求する小説を書く・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・マルキシズムの立場で書かれているわけなのだろうが、敗北主義で、政治と文学との見解は、ブルジョア・インテリゲンチアの宿痾、二元論だ。 しかし、言及されているプロレタリア文学の取材、様式の固定化という批判は、そのままとりあげよう。 けれ・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫