・・・電気か、瓦斯を使うのか、ほとんど五彩である。ぱッと燃えはじめた。 この火が、一度に廻ると、カアテンを下ろしたように、窓が黒くなって、おかしな事には、立っている土間にひだを打って、皺が出来て、濡色に光沢が出た。 お町が、しっかりと手を・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・また美しい五彩の花形模様のぐるぐる回りながら変化するものもあった。こんな幼稚なものでも当時の子供に与えた驚異の感じは、おそらくはラジオやトーキーが現代の少年に与えるものよりもあるいはむしろ数等大きかったであろう。一から見た十は十倍であるが、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 帰路の駒ヶ岳には虹が山腹にかかって焼土を五彩にいろどっていた。函館の連絡船待合所に憐れな妙齢の狂女が居て、はじめはボーイに白葡萄酒を命じたりしていたが、だんだんに暴れ出して窓枠の盆栽の蘭の葉を引っぱったりして附添いの親爺を困らせた。そ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・大都市の冬に特有な薄い夜霧のどん底に溢れ漲る五彩の照明の交錯の中をただ夢のような心持で走っていると、これが自分の現在住んでいる東京の中とは思えなくなって、どこかまるで知らぬ異郷の夜の街をただ一人こうして行方も知らず走っているような気がして来・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・それにもかかわらず、美しい五彩の簑を纏うた虫の心象だけは今も頭の中に呼び出す事が出来る。ところが、つい近頃私の子供等がやはり祖母にこの話を聞いて私の失敗した経験を繰返していたようである。いったいこの話は事実であろうか。事実であるとしても稀有・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・活殺生死の乾坤を定裏に拈出して、五彩の色相を静中に描く世なり。かく観ずればこの女の運命もあながちに嘆くべきにあらぬを、シャロットの女は何に心を躁がして窓の外なる下界を見んとする。 鏡の長さは五尺に足らぬ。黒鉄の黒きを磨いて本来の白きに帰・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・今まではこの五彩の眩ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・その夜の夢に彼れは五彩の雲に乗るマリアを見た。マリアと見えたるはクララを祭れる姿で、クララとは地に住むマリアであろう。祈らるる神、祈らるる人は異なれど、祈る人の胸には神も人も同じ願の影法師に過ぎぬ。祭る聖母は恋う人の為め、人恋うは聖母に跪く・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 五つの髪の厚い乙女が青白い体に友禅の五彩まばゆい晴衣をまとうて眠る胸に同じ様な人形と可愛い飯事道具の置かれた様を思うさえ涙ははてしなくも流れるのである。 飯事を忘れかぬる優しい心根よ。 一人行く旅路の友と人形を抱くしおらしさよ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 結婚の幸福というものが五彩の雲につつまれて描かれているロマンティック時代は、時代として過ぎていると思う。反対に、或る種の若い女のひとは結婚の現実性を実利性ととりちがえ、その実利性をも一番低級な物質の面に根拠をおき、結婚は事務と云い、商・・・ 宮本百合子 「これから結婚する人の心持」
出典:青空文庫