・・・ 水瀦に映る雲の色は心失せし人の顔の色のごとく、これに映るわが顔は亡友の棺を枯れ野に送る人のごとし。目をあげて心ともなく西の空をながむればかの遠き蒼空の一線は年若きわれらの心の秘密の謎語のごとく、これを望みてわが心怪しゅう躍りぬ。ああ年・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・われとわが亡友との間、半透明の膜一重なるを感じた。 そうでない、ただかれは疲れはてた。一杯の水を求めるほどの気もなくなった。 豊吉は静かに立ち上がって河の岸に下りた。そして水の潯をとぼとぼとたどって河下の方へと歩いた。 月はさえ・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・その頃わたくしは押川春浪井上唖々の二亡友と、外神田の妓を拉して一夜紫明館に飲んだことを覚えている。四五輛の人力車を連ねて大きな玄関口へ乗付け宿の女中に出迎えられた時の光景は当世書生気質中の叙事と多く異る所がなかったであろう。根津の社前より不・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ わたくしは裳川先生が講詩の席で、始めて亡友井上唖々君を知ったのである。 その頃作った漢詩や俳句の稿本は、昭和四年の秋感ずるところがあって、成人の後作ったいろいろの原稿と共に、わたくしは悉くこれを永代橋の上から水に投じたので、今記憶・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ わが亡友の中に帚葉山人と号する畸人があった。帚葉山人はわざわざわたくしのために、わたくしが頼みもせぬのに、その心やすい名医何某博士を訪い、今日普通に行われている避姙の方法につき、その実行が間断なく二、三十年の久しきに渉っても、男子の健・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ わたしはいかなる断篇たりともその稿を脱すれば、必亡友井上唖々子を招き、拙稿を朗読して子の批評を聴くことにしていた。これはわたしがまだ文壇に出ない時分からの習慣である。 唖々子は弱冠の頃式亭三馬の作と斎藤緑雨の文とを愛読し、他日二家・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・かくの如き昔ながらの汚い光景は、わたくしをして、二十年前亡友A氏と共にしばしばこのあたりの古寺を訪うた頃の事やら、それよりまた更に十年のむかし噺家の弟子となって、このあたりの寄席、常盤亭の高座に上った時の事などを、歴々として思い起させるので・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
余は子規の描いた画をたった一枚持っている。亡友の記念だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。年数の経つに伴れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。近頃ふと思い出して、ああしておいては転宅の際などにどこへ・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・然し子規は又例の如く尻持たぬわが身につまされて、遠くから余の事を心配するといけないから、亡友に安心をさせる為め一言断って置く。 明治三十九年十月 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
出典:青空文庫