・・・さあ、御客様だ、土左衛門だと云う騒ぎで、早速橋詰の交番へ届けたんだろう。僕が通りかかった時にゃ、もう巡査が来ていたが、人ごみの後から覗いて見ると、上げたばかりの女隠居の屍骸が、荒菰をかぶせて寝かしてある、その菰の下から出た、水ぶくれの足の裏・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・こちの人は、京町の交番に新任のお巡査さん――もっとも、角海老とかのお職が命まで打込んで、上り藤の金紋のついた手車で、楽屋入をさせたという、新派の立女形、二枚目を兼ねた藤沢浅次郎に、よく肖ていたのだそうである。 あいびきには無理が出来る。・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 一体昨夜お前を助けた時、直ぐ騒ぎ立てればよ、汐見橋の際には交番もあるし、そうすりゃ助けようと思う念は届くしこっちの手は抜けるというもんだし、それに上を越すことは無かったが、いやいやそうでねえ、川へ落ちたか落されたかそれとも身を投げたか・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・――その真中へ顔を入れたのは、考えると無作法千万で、都会だと、これ交番で叱られる。「霜こしやがね。」と買手の古女房が言った。「綺麗だね。」 と思わず言った。近優りする若い女の容色に打たれて、私は知らず目を外した。「こちらは、・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・他に相談相手といってはなし、交番へ届けまして助けて頂きますわけのものではなし、また親類のものでも知己でも、私が話を聞いてくれそうなものには謂いました処で思遣にも何にもなるものじゃあございません、旦那様が聞いて下さいましたので、私は半分だけ、・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・と自分で叫びながら、漸く、向うの橋詰までくると、其処に白い着物を着た男が、一人立っていて盛に笑っているのだ、おかしな奴だと思って不図見ると、交番所の前に立っていた巡査だ、巡査は笑いながら「一体今何をしていたのか」と訊くから、何しろこんな、出・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・その弁当でいくらか力がついたので、またトボトボと歩いて、静岡まで来ましたが、ふらふらになりながら、まず探したのは交番、やっと辿りついて豊橋で弁当を盗んだことを自首しました。 人のよさそうな巡査はしかし取り合わず、弁当を恵んで、働くことを・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・は戎橋の停留所から難波へ行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代娘がまるで女学校の同窓会をひらいたように、はでに詰め掛けている。デパートの退け刻などは疲れたからだに砂糖分を求めてか・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・橋の北詰の交番の前を通ると、巡査がじろりと見た。橋の下を赤い提灯をつけたボートが通った。橋を渡るとそこにも交番があり、再びじろりと見た。戎橋筋は銀行の軒に易者の鈍い灯が見えるだけ、すっかり暗かったが、私の心にはふと灯が点っていた。新しい小説・・・ 織田作之助 「世相」
・・・「この先に交番があった筈だが……」 と、小沢がふと呟くと、娘はびっくりしたように、「交番へ行くのはいやです。お願いです」 と、小沢の腕を掴んだ。「じゃ、どこへ行けばいいの……?」「どこへでも……。あなたのお家でも……・・・ 織田作之助 「夜光虫」
出典:青空文庫