・・・曾祖父は蜀山や文晁と交遊の厚かった人である。家も河岸の丸清と云えば、あの界隈では知らぬものはない。それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷の露路の奥に、句と書と篆刻とを楽しんでいた。だから露柴には我々にない、どこ・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・寺に寄宿した時代のかれは、かなりにくわしくわかったが、その交遊の間のことがどうものみ込めない。中学校時代の日記は、空想たくさんで、どれが本当かうそかわからない。戯談に書いたり、のんきに戯れたりしていることばかりである。三十四五年――七八年代・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ちっとも覚えがないし、第一自分の近い交遊の範囲内にNという姓の人は一人もないようである。 なんだか急に帰りたくなって来た。便船はないかと聞いてみるとそんなものはこの島にはないという。このあいだ○○帝大総長が帰る時は八挺艪の漁船を仕立てて・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ 亮が後年までほとんど唯一の親友として許し合っていたM氏との交遊の跡も同じ帳面の絵からわかる。 中学時代からいっしょであったのが、高校の入学試験でM氏は通過し、亮は一年おくれた。その時M氏に贈った句に「登る露散る露秋の別れかな」とい・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・ 森さんはまたお茶人で、東京の富豪や、京都の宗匠なぞに交遊があったけれど、高等学校も出ているので、宗匠らしい臭味は少しもなかった。 鴈治郎の一座と、幸四郎の組合せであるその芝居は、だいぶ前から町の評判になっていた。廓ではことにもその・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・老爺生長在江辺、不愛交遊只愛銭、と歌い出した。昨夜華光来趁我、臨行奪下一金磚、と歌いきって櫓を放した。それから船頭が、板刀麺が喰いたいか、飩が喰いたいか、などと分らぬことをいうて宋江を嚇す処へ行きかけたが、それはいよいよ写実に遠ざかるから全・・・ 正岡子規 「句合の月」
有島武郎の作品の中でも最も長い「或る女」は既に知られている通り、始めは一九一一年、作者が三十四歳で札幌の独立教会から脱退し、従来の交遊関係からさまざまの眼をもって生活を批判された年に執筆されている。「或る女のグリンプス・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・ 香以の交遊諸人に関しても、わたくしは二三の報を得た。尾道の古怪庵加藤氏は云う。「香以伝に香以の友晋永機を出し、その没年を明治三十七年としたのは誤であろう。今の機一君の父も永機、祖父も永機であった。香以の友は祖父の方であろう。そして明治・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫