坂田三吉が死んだ。今年の七月、享年七十七歳であった。大阪には異色ある人物は多いが、もはや坂田三吉のような風変りな人物は出ないであろう。奇行、珍癖の横紙破りが多い将棋界でも、坂田は最後の人ではあるまいか。 坂田は無学文盲・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・維新の後私塾を開いて生徒を教授し、後に東京学士会院会員に推挙せられ、ついで東京教育博物館長また東京図書館長に任ぜられ、明治十九年十二月三日享年六十三で歿した。秋坪は旧幕府の時より成島柳北と親しかったので、その戯著小西湖佳話は柳北の編輯する花・・・ 永井荷風 「上野」
・・・天明三年十二月二十四日夜歿し、亡骸は洛東金福寺に葬る。享年六十八。 蕪村は総常両毛奥羽など遊歴せしかども紀行なるものを作らず。またその地に関する俳句も多からず。西帰の後丹後におること三年、因って谷口氏を改めて与謝とす。彼は讃州に遊びしこ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・十八年三月十七日に妙解院殿卒去遊ばされ、次いで九月二日景一も病死いたし候。享年八十四歳に候。 兄九郎兵衛一友は景一が嫡子にして、父につきて豊前へ参り、慶長十七年三斎公に召しいだされ、御次勤仰つけられ、後病気により外様勤と相成り候。妙解院・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫