・・・ 十分人世は淋しい。私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。お前達と私とは、血を味った獣のように、愛を味った。行こう、そして出来るだけ私たちの周囲を淋しさから救うために働こう。私はお前たちを愛した。そして永遠に愛する。それは・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・根底より虚偽な人生、上面ばかりな人世、終焉常暗な人生…… 予はもの狂わしきまでにこんなことを考えつつ家に帰りついた。犬は戯れて躍ってる、鶏は雌雄あい呼んで餌をあさってる。朗快な太陽の光は、まともに庭の草花を照らし、花の紅紫も枝葉の緑も物・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・夕照りうららかな四囲の若葉をその水面に写し、湖心寂然として人世以外に別天地の意味を湛えている。 この小湖には俗な名がついている、俗な名を言えば清地を汚すの感がある。湖水を挟んで相対している二つの古刹は、東岡なるを済福寺とかいう。神々しい・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・今北海の町に来て計らずこのつつましやかな葬礼を見て、人世の夕暮れにふさわしい昔ながらの行事のさびしおりを味わうことが出来たような気がした。 〇時半の急行で札幌に向かう。北緯四十一度を越えても稲田の黄熟しているのに驚く。大沼公園はなるほど・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・この狂風が自分で自分の勢力を消し尽くした後に自然になぎ和らいで、人世を住みよくする駘蕩の春風に変わる日の来るのを待つよりほかはないであろう。 それにしても毎日毎夕類型的な新聞記事ばかりを読み、不正確な報道ばかりに眼をさらしていたら、人間・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・先生の自然観人世観が始めから多分に俳句漢詩のそれと共通なものを含んでいた事は明らかであるが、しかしまた先生が俳句漢詩をやった事が先生の自然観人世観にかなりの反作用を及ぼしたであろうという事も当然な事であろう。ともかくも先生の晩年の作品を見る・・・ 寺田寅彦 「夏目先生の俳句と漢詩」
・・・ 一方において記紀万葉以来の詩に現われた民族的国民的に固有な人世観世界観の変遷を追跡して行くと、無垢な原始的な祖先日本人の思想が外来の宗教や哲学の影響を受けて漸々に変わって行く様子がうかがわれるのであるが、この方面から見ても蕉門俳諧の完・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 日本人の自然観は同時にまた日本人の人世観であるということもすでに述べたとおりである。「春雨」「秋風」は日本人には直ちにまた人生の一断面であって、それはまた一方で不易であると同時に、また一方では流行の諸相でもある。「実」であると同時に「・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・実に瑣末な事柄ではあるが、これだけでもままにならぬ人世という古い標語の真実性を証するための一例にはなるのである。日曜に天気のいいという確率、家族の甲乙丙の銘々が暇だという三つの確率、この四つがそれぞれ二分の一ずつだとしても、十六分の一しか都・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・博士が忽然と著名になったのは、今までまるで人の眼に触れないで経過した科学界という暗黒な人世の象面に、一点急に輝やく場所が出来たと同じ事である。其所が明るくなったのは仕合せである。しかし其所だけが明るくなったのは不都合である。 一般の社会・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
出典:青空文庫