・・・という気持がしてにわかにその娘を心にとめるようになったのだが、しかしそれは吉田にとってまだまだ遠い他人事の気持なのであった。 ところがその後しばらくしてそこの嫁が吉田の家へ掛取りに来たとき、家の者と話をしているのを吉田がこちらの部屋のな・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 弁公はうなずいた、親父は一段声を潜めて、「他人事と思うな、おれなんぞもう死のうと思った時、仲間の者に助けられたなア一度や二度じゃアない。助けてくれるのはいつも仲間のうちだ、てめえもこの若者は仲間だ、助けておけ。」 弁公は口をも・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ かくてこそ倫理学の書をひもどくや、自分の悩んでいる諸問題がそこに取り扱われ、解決を見出さんとして種々の視角と立場とより俎上にあげられているのを見て、人事ならぬ思いを抱くであろう。たといそれは充分には解決されず、諸説まちまちであり、また・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・「他人事じゃねえぞ! 支柱を惜しがって使わねえからこんなことになっちゃうんだ!」武松は死者を上着で蔽いながら呟いた。「俺れゃ、今日こそは、どうしたって我慢がならねえ! まるでわざと殺されたようなもんだぞ!」「せめて、あとの金だけでも・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・即ち知る、舜の事蹟は人事に關するものを他にして求む可らざることを。 禹に至つては刻苦勉勵、大洪水を治し禹域を定めたるもの、これ地に關する事蹟なり。禹の事業の特性は地に關する點にあり。 これらの點より推さばこの傳説作者は、天地人三才の・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・ もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・連句における天然と人事との複雑に入り乱れたシーンからシーンへの推移の間に、われわれはそれらのシーンの底に流れるある力強い運動を感じる。たとえば「猿蓑」の一巻をとって読んでみても鳶の羽も刷いぬはつしぐれ 一ふき風の木の葉しずま・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・して来たという人事的現象としての「事実」を否定するものではない。われわれの役目はただそれらの怪異現象の記録を現代科学上の語彙を借りて翻訳するだけの事でなければならない。この仕事はしかしはなはだ困難なものである。錯覚や誇張さらに転訛のレンズに・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・パラドックスのようであるが、人事の法則、負くるが勝である、死ぬるが生きるのである。彼らはたしかにその自信があった。死の宣告を受けて法廷を出る時、彼らの或者が「万歳! 万歳!」と叫んだのは、その証拠である。彼らはかくして笑を含んで死んだ。悪僧・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 人事に関する文章はこの視察の表現である。したがって人事に関する文章の差違はこの視察の差違に帰着する。この視察の差違は視察の立場によって岐れてくる。するとこの立場が文章の差違を生ずる源になる。今の世に云う写生文家というものの文章はいかな・・・ 夏目漱石 「写生文」
出典:青空文庫