・・・その頃の硬派の首領株の一人はその後人力車夫になったと聞いたが、それからどうなったか一度も巡り合わずそれきり消息を知ることが出来ない。 そういう怖い仲間とはまるで感じのちがう×というのが居た。うちは何商売だったか分らないが、その家の店先に・・・ 寺田寅彦 「鷹を貰い損なった話」
・・・ この条項を備えたる人にして始めて、この条項中に差等をつける事を考えてもよいと思う。人力も人を載せる。電車も人も載せる。両者を知ったものが始めて両者の利害長短を比較するの権利を享ける。中学の課目は数においてきまっている。時間の多少は一様・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・汽車電車は無論人力さえ工夫する手段を知らないで、どこまでも親譲りの二本足でのそのそ歩いて行く文章であります。したがって散文的の感があるのです。散文的な文章とは馬へも乗れず、車へも乗れず、何らの才覚がなくって、ただ地道に御拾いでおいでになる文・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・はっと眼を開けると、白い男の袖の下に自転車の輪が見えた。人力の梶棒が見えた。と思うと、白い男が両手で自分の頭を押えてうんと横へ向けた。自転車と人力車はまるで見えなくなった。鋏の音がちゃきちゃきする。 やがて、白い男は自分の横へ廻って、耳・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
私共が故郷の金沢から始めて東京に出た頃は、水道橋から砲兵工廠辺はまだ淋しい所であった。焼鳥の屋台店などがあって、人力車夫が客待をしていた。春日町辺の本郷側のがけの下には水田があって蛙が鳴いていた。本郷でも、大学の前から駒込・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・それから人力俥夫になり、馬丁になり、しまいにルンペンにまで零落した。浅草公園の隅のベンチが、老いて零落した彼にとっての、平和な楽しい休息所だった。或る麗らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・外国商売の事あり、内国物産の事あり、開墾の事あり、運送の事あり、大なるは豪商の会社より、小なるは人力車挽の仲間にいたるまで、おのおのその政を施行して自家の政体を尊奉せざる者なし。かえりみて学者の領分を見れば、学校教授の事あり、読書著述の事あ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・方今の有様にては、読書家も少なく翻訳書もはなはだ乏しければ、国内一般に風化を及ぼすは、三、五年の事業にあらず、ただ人力をつくして時を待つのみ。一、学校を設くるに公私両用の別あり。その得失、左の如し。一、官に学校を立つれば、金穀に・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・よくその子の性質を察して、これを教えこれを導き、人力の及ぶ所だけは心身の発生を助けて、その天稟に備えたる働きの頂上に達せしめざるべからず。概していえば父母の子を教育するの目的は、その子をして天下第一流の人物、第一流の学者たらしめんとするにあ・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・今このめしの字は俗なるゆえメシと改むべしなど国中に諭告するも、決して人力の及ぶべき所に非ず。 さればここに小学の生徒ありて、入学の後一、二カ月をすぎ、当人の病気か、親の病気か、または家の世帯の差支をもって、廃学することあらん。その廃学の・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
出典:青空文庫