・・・今や落日、大洋、清風、蒼天、人心を一貫して流動する所のものを感得したり。 かるが故にわれは今なお牧場、森林、山岳を愛す、緑地の上、窮天の間、耳目の触るる所の者を愛す、これらはみなわが最純なる思想の錨、わが心わが霊及びわが徳性の乳母、導者・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・時節柄当局の神経は尖鋭となっていたので、ついにこの不穏の言動をもって、人心を攪乱するところの沙門を、流罪に処するということになった。 これは貞永式目に出家の死罪を禁じてあるので、表は流罪として、実は竜ノ口で斬ろうという計画であった。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・日本民族独特の情死の如きは、もっと鞏固な意志と知性とが要求されるとはいえ、またそうでなければ現われることのできない人心の結びと契いとの機微があるのである。梅川忠兵衛がもし心中しなかったら、世間の人情はさらに傷つくかもしれないだろう。ダンテは・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・吉尼天だ。人心をかんじんするものだ。心垢を尽するものだ。政元はどういう修法をしたか、どういう境地にいたか、更に分らぬ。人はただその魔法を修したるを知るのみであった。 政元は行水を使った。あるべきはずの浴衣はなかった。小姓の波ははかべは浴・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・るいは事業のために、あるいは恋愛のために、あるいは意気のために、とにかく、自己の生命より重いと信ずるあるもののために、力のかぎり働いて、倒れてのちやまんとすることは、まず死に所を得たもので、その社会・人心に影響・印象するところも、けっしてあ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・に於て、或は人道の為めに、或は事業の為めに、或は恋愛の為めに、或は意気の為めに、兎に角自己の生命よりも重しと信ずる或物の為めに、力の限り働らきて倒れて後ち已まんことは、先ず死所を得たもので、其の社会・人心に影響・印象する所も決して浅からぬの・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・をも持ってはならん、素手で殴ってもいかん、もっぱら優美に礼儀正しくこの世を送って行かなければならん、というまことに有りがたい御時勢になりまして、そのためにはまず詩歌管絃を興隆せしめ、以てすさみ切ったる人心を風雅の道にいざなうように工夫しなけ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・衣服が人心に及ぼす影響は恐ろしい。私は、その夜は、非常に卑屈な気持で酒を飲んでいた。鬱々として、楽しまなかった。店の主人にまで、いやしい遠慮をして、片隅のほの暗い場所に坐って酒を飲んでいたのである。ところが、友人のほうは、その夜はどうした事・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・そしてすべての人心の所得をその真の源まで追跡する事が出来たら、この世界がいちばん多くの御蔭を蒙っているのは、最も独創力のある人々であった事を発見するだろう。またそういう人々がその生活の日ごとに、人類から彼等が負う負債を増しながら、同時に同胞・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・前者の場合には世道人心を善導し、後者の場合には惨禍と擾乱を巻き起こした例がはなはだ多いようである。いずれもとにかく人間の錯覚を利用するものである。 もしも人間の「目」が少しも錯覚のないものであったら、ヒトラーもレーニンもただの人間であり・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
出典:青空文庫