・・・目一つの神につかまった話だの、人を豕にする女神の話だの、声の美しい人魚の話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇った時から、この国の土人に変りました。今では百合若と名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・両足を揃えて真直に立ったままどっちにも倒れないのを勝にして見たり、片足で立ちっこをして見たりして、三人は面白がって人魚のように跳ね廻りました。 その中にMが膝位の深さの所まで行って見ました。そうすると紆波が来る度ごとにMは脊延びをしなけ・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・斎木の御新造は、人魚になった、あの暴風雨は、北海の浜から、潮が迎いに来たのだと言った―― その翌月、急病で斎木国手が亡くなった。あとは散々である。代診を養子に取立ててあったのが、成上りのその肥満女と、家蔵を売って行方知れず、……下男下女・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ と支膝のまま、するすると寄る衣摺が、遠くから羽衣の音の近くように宗吉の胸に響いた……畳の波に人魚の半身。「どんな母さんでしょう、このお方。」 雪を欺く腕を空に、甘谷の剃刀の手を支え、突いて離して、胸へ、抱くようにして熟と視た。・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ わずかに畳の縁ばかりの、日影を選んで辿るのも、人は目をみはって、鯨に乗って人魚が通ると見たであろう。……素足の白いのが、すらすらと黒繻子の上を辷れば、溝の流も清水の音信。 で、真先に志したのは、城の櫓と境を接した、三つ二つ、全国に・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
一 人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。 北方の海の色は、青うございました。ある時、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色を眺めながら休んでいました。 雲間から洩れ・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
一 人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。 北方の海の色は、青うございました。あるとき、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色をながめながら休んでいました。 雲間から・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・そこでも今年は、去年のように、金色夜叉やロクタン池の首なし事件の覗きからくりや、ろくろ首、人魚、海女の水中冒険などの見世物小屋が掛っているはずだ。 寿子はそう思って、北向き八幡宮の前まで来ると、境内の方へ外れようとしたが、庄之助はだまっ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・孤島の波打際に、美しい人魚があつまり、うっとりとその笛の音に耳を傾けている。もし彼女が、ひとめその笛の音の主の姿を見たならば、きゃっと叫んで悶絶するに違いない。芸術家はそれゆえ、自分のからだをひた隠しに隠して、ただその笛の音だけを吹き送る。・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・話が、だんだん陰鬱になって、いやであるが、私はこのごろ人魚というものの、実在性に就いて深く考えているのである。人魚は、古来かならず女性である。男の人魚というものは、未だその出現のことを聞かない。かならず、女性に限るようである。ここに解決のヒ・・・ 太宰治 「女人訓戒」
出典:青空文庫