一 支那の上海の或町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加人と何か頻に話し合っていました。「実は今度もお婆さんに、占いを頼みに来たのだがね、――」・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・「若い且那、今度はまあ御苦労様でございます」 その中で物慣れたらしい半白の丈けの高いのが、一同に代わってのようにこう言った。「御苦労はこっちのことだぞ」そうその男の口の裏は言っているように彼には感じられた。不快な冷水を浴びた彼は改め・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 小娘はまた魚を鉤から脱して、地に投げる。今度は貴夫人の傍へ投げる。 魚は死ぬる。 ぴんと跳ね上がって、ばたりと落ちて死ぬる。 単純な、平穏な死である。踊ることをも忘れて、ついと行ってしまうのである。「おやまあ」と貴夫人・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・しかし今度は摩られた。小さい温い手が怖る怖る毛のおどろになって居る、犬の頭に触れた。次第に馴れて来て、その手が犬の背中を一ぱいに摩って、また指尖で掻くように弄った。 レリヤは別荘の方に向いて、「お母あさんも皆も来て御覧。私今クサカを摩っ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
B おい、おれは今度また引越しをしたぜ。A そうか。君は来るたんび引越しの披露をして行くね。B それは僕には引越し位の外に何もわざわざ披露するような事件が無いからだ。A 葉書でも済むよ。B しかし今度のは葉書では済まん。・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・宿屋の硯を仮寝の床に、路の記の端に書き入れて、一寸御見に入れたりしを、正綴にした今度の新版、さあさあかわりました双六と、だませば小児衆も合点せず。伊勢は七度よいところ、いざ御案内者で客を招けば、おらあ熊野へも三度目じゃと、いわれてお供に早が・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・そうして遂に今度の大水害にこうして苦闘している。 二人が相擁して死を語った以後二十年、実に何の意義も無いではないか。苦しむのが人生であるとは、どんな哲学宗教にもいうてはなかろう。しかも実際の人生は苦しんでるのが常であるとはいかなる訳か。・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・其後又、今度は貸金までして仕度をして何にも商ばいをしない家にやるとここも人手が少なくてものがたいのでいやがって名残をおしがる男を見すてて恥も外聞もかまわないで家にかえると親の因果でそれなりにもしておけないので三所も四所も出て長持のはげたのを・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
十年振りの会飲に、友人と僕とは気持ちよく酔った。戦争の時も出征して負傷したとは聴いていたが、会う機会を得なかったので、ようよう僕の方から、今度旅行の途次に、訪ねて行ったのだ。話がはずんで出征当時のことになった。「今の僕なら、君」と・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・参詣人が来ると殊勝な顔をしてムニャムニャムニャと出放題なお経を誦しつつお蝋を上げ、帰ると直ぐ吹消してしまう本然坊主のケロリとした顔は随分人を喰ったもんだが、今度のお堂守さんは御奇特な感心なお方だという評判が信徒の間に聞えた。 椿岳が浅草・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫