・・・ 今戸の大河内家には椿岳に似つかわしい奇妙な大作があった。大河内家の先代輝音侯というは頗る風流の貴族で常に文墨の士を近づけた。就中、椿岳の恬淡洒落を愛して方外の友を以て遇していた。この大河内家の客座敷から横手に見える羽目板が目触りだとい・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・狐か狸だろう、矢張、俳優だが、数年以前のこと、今の沢村宗十郎氏の門弟で某という男が、或夏の晩他所からの帰りが大分遅くなったので、折詰を片手にしながら、てくてく馬道の通りを急いでやって来て、さて聖天下の今戸橋のところまで来ると、四辺は一面の出・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・雨催の空濁江に映りて、堤下の杭に漣れんい寄するも、蘆荻の声静かなりし昔の様尋ぬるに由なく、渡番小屋にペンキ塗の広告看板かゝりては簑打ち払う風流も似合うべくもあらず。今戸の渡と云う名ばかりは流石に床し。山谷堀に上がれば雨はら/\と降り来るも場・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・明治時代の吉原とその附近の町との情景は、一葉女史の『たけくらべ』、広津柳浪の『今戸心中』、泉鏡花の『註文帳』の如き小説に、滅び行く最後の面影を残した。 わたくしが弱冠の頃、初めて吉原の遊里を見に行ったのは明治三十年の春であった。『たけく・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・千住の名産寒鮒の雀焼に川海老の串焼と今戸名物の甘い甘い柚味噌は、お茶漬の時お妾が大好物のなくてはならぬ品物である。先生は汚らしい桶の蓋を静に取って、下痢した人糞のような色を呈した海鼠の腸をば、杉箸の先ですくい上げると長く糸のようにつながって・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・十年十五年と過ぎた今日になっても、自分は一度び竹屋橋場今戸の如き地名の発音を耳にしてさえ、忽然として現在を離れ、自分の生れた時代よりも更に遠い時代へと思いを馳するのである。 いかに自然主義がその理論を強いたにしても、自分だけには現在ある・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・わたくしが中学生の頃初め漢詩を学びその後近代の文学に志を向けかけた頃、友人井上唖々子が『今戸心中』所載の『文芸倶楽部』と、緑雨の『油地獄』一冊とを示して頻にその妙処を説いた。これが後日わたくしをして柳浪先生の門に遊ばしめた原因である。しかし・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・三囲稲荷の鳥居が遠くからも望まれる土手の上から斜に水際に下ると竹屋の渡しと呼ばれた渡場の桟橋が浮いていて、浅草の方へ行く人を今戸の河岸へ渡していた。渡場はここばかりでなく、枕橋の二ツ並んでいるあたりからも、花川戸の岸へ渡る船があったが、震災・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・ 浅草も今戸橋場あたりの河岸である。河水に浮べた舟から見ると、別荘のような広い構えの屋敷が幾軒となく並んでいて、いずれも石河岸から流れの上に桟橋を浮べている。われわれはそういう桟橋に漕いでいるボートをつないで弁当を食べたり腕のつかれを休・・・ 永井荷風 「向島」
・・・ 次の日の午時ごろ、浅草警察署の手で、今戸の橋場寄りのある露路の中に、吉里が着て行ッたお熊の半天が脱ぎ捨ててあり、同じ露路の隅田河の岸には、娼妓の用いる上草履と男物の麻裏草履とが脱ぎ捨ててあッたことが知れた。 けれども、死骸はたやす・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫