・・・「僕はそいつを見せつけられた時には、実際今昔の感に堪えなかったね。――」 藤井は面白そうに弁じ続けた。「医科の和田といった日には、柔道の選手で、賄征伐の大将で、リヴィングストンの崇拝家で、寒中一重物で通した男で、――一言にいえば・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・「天竺南蛮の今昔を、掌にても指すように」指したので、「シメオン伊留満はもとより、上人御自身さえ舌を捲かれたそうでござる。」そこで、「そなたは何処のものじゃと御訊ねあったれば、一所不住のゆだやびと」と答えた。が、上人も始めは多少、この男の真偽・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・例証は、遠く、今昔物語、詣鳥部寺女の語にある、と小県はかねて聞いていた。 紀州を尋ねるまでもなかろう。……今年はじめて花見に出たら、寺の和尚に抱きとめられて、高い縁から突落されて、笄落し、小枕落し…… 古寺の光景は、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・と古えの賤の苧環繰り返して、さすがに今更今昔の感に堪えざるもののごとく我れと我が額に手を加えたが、すぐにその手を伸して更に一盃を傾けた。「そうこうするうち次郎坊の方をふとした過失で毀してしまった。アア、二箇揃っていたものをいかに過失・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・源氏以外の文学及びまた更に下っての今昔、宇治、著聞集等の雑書に就いて窺ったら、如何にこの時代が、魔法ではなくとも少くとも魔法くさいことを信受していたかが知られる。今一いちいち例を挙げていることも出来ないが、大概日本人の妄信はこの時代にうんじ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・冷しい雨の音を聞きながら、今昔のことを考える。蚊帳の中へ潜り込んでからも、相川は眠られなかった。多感多情であった三十何年の生涯をその晩ほど想い浮べたことはなかったのである。 寝苦しさのあまりに戸を開けて見た頃は、雨も最早すっかり止んでい・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・「昔はだいぶ評判の事であったが、このごろは全くその沙汰がない、根拠の無き話かと思えば、「土佐今昔物語」という書に、沼澄(鹿持雅澄翁の名をもって左のとおりしるされている。孕の海にジャンと唱うる稀有のものありけり、たれしの人もいまだその・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・昔は利器たり、今は玩具たり。今昔の相違これを名けて人智の進歩時勢の変遷と言う。学者の注意す可き所のものなり。左れば我輩は女大学を見て女子教訓の弓矢鎗剣論と認め、今日に於て毫も重きを置かずと雖も、論旨の是非は擱き、記者が女子を教うるの必要を説・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ニージュニが、その後すぐ始まった第一次五ヵ年計画によってソヴェト第一の自動車製作所を持つようになったことを知った時、私は、ゴーリキイがどんなに今昔の感に打たれたであろうかと思った。 ピリニャークのような作家は、日本へ来て芸者を見て、・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
『文芸春秋』の新年号に、作家ばかりの座談会という記事がのせられている。河豚礼讚、文芸雑誌の今昔などというところから、次第に様々の話題へ展開しているこの記事は、特に最後の部分、二・二六と大震災当時の心境についてそれぞれの出席者・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫