・・・そのときの大通事は今村源右衛門。稽古通事は品川兵次郎、嘉福喜蔵。 その日のひるすぎ、白石はシロオテと会見した。場所は切支丹屋敷内であって、その法庭の南面に板縁があり、その縁ちかくに奉行の人たちが着席し、それより少し奥の方に白石が坐った。・・・ 太宰治 「地球図」
・・・今野大力、今村恒夫、本庄陸男、黒島伝治など。とくに今野大力と今村恒夫は、一九三〇年から三三年にかけてのプロレタリア文学運動のなかで、ふかく日常的にもつながりあった仲間であった。譲原さんは、この人々との関係からみれば、たった二度だけ会った友達・・・ 宮本百合子 「譲原昌子さんについて」
・・・かつて初めて向陵の人となり今村先生に醇々として飲酒の戒を聞いたその夜、紛々たる酒気と囂々たる騒擾とをもって眠りを驚かす一群を見て嫌悪の念に堪えなかった。ああ暴飲と狂跳! 人はこれを充実せる元気の発露と言う。吾人は最も下劣なる肉的執着の表現と・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫