俊寛云いけるは……神明外になし。唯我等が一念なり。……唯仏法を修行して、今度生死を出で給うべし。源平盛衰記いとど思いの深くなれば、かくぞ思いつづけける。「見せばやな我を思わぬ友もがな磯のとまやの柴の庵を。」同上一・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・「いやいや、仏法の貴賤を分たぬのはたとえば猛火の大小好悪を焼き尽してしまうのと変りはない。……」 それから、――それから如来の偈を説いたことは経文に書いてある通りである。 半月ばかりたった後、祇園精舎に参った給孤独長者は竹や芭蕉・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・当時の学問と思想との文化的所与の下に、彼がそれを仏法に求めたのは当然であった。しかし仏法とは一体何であろう。当時の仏教は倶舎、律、真言、法相、三論、華厳、浄土、禅等と、八宗、九宗に分裂して各々自宗を最勝でありと自賛して、互いに相排擠していた・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・信仰というものはそんな狭い、融通のきかないものではない。仏法などは無相の相といって、どんな形にでも変転することができる。墨染の衣にでも、花嫁の振袖にでも、イヴニングドレスにでも、信仰の心を包むことは自由である。草の庵でも、コンクリート建築の・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 観行院様は非常に厳格で、非常に規則立った、非常に潔癖な、義務は必らず果すというような方でしたから、種善院様其他の墓参等は毫も御怠りなさること無く、また仏法を御信心でしたから、開帳などのある時は御出かけになり、柴又の帝釈あたりなどへも折・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・神仏混淆は日本で起り、道仏混淆は支那で起り、仏法婆羅門混淆は印度で起っている。何も不思議はない。ただここでは我邦でいう所の妖術幻術は別に支那印度などから伝えた一系統があるのではなくて、字面だけの事だというのである。 さて「げほう」という・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・もしなんの効能もないとすると、祖先の日本人は仏法伝来と同時に輸入されたというこの唐人のぺてんに二千年越しだまされつづけて無用なやけどをこしらえて喜んでいたわけである。 二千年来信ぜられて来たという事実はそれが真であるという証拠には少しも・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・縁なき衆生は度しがたしとは単に仏法のみで言う事ではありません。段違いの理想を有しているものは、感化してやりたくても、感化を受けたくてもとうていどうする事もできません。 還元的感化と云う字が少々妙だから、御分りにならんかと思います。これを・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・けだし寺院のかたわらに遊戯する小童輩は、自然に仏法に慣れてその臭気を帯ぶるとの義ならん。すなわち仏の気風に制しらるるものなり。仏の風にあたれば仏に化し、儒の風にあたれば儒に化す。周囲の空気に感じて一般の公議輿論に化せらるるの勢は、これを留め・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ 世に道徳論者ありて、日本国に道徳の根本標準を立てんなど喧しく議論して、あるいは儒道に由らんといい、あるいは仏法に従わんといい、あるいは耶蘇教を用いんというものあれば、また一方にはこれを悦ばず、儒仏耶蘇、いずれにてもこれに偏するは不便な・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫