・・・また恐怖に挫がれないためには、出来るだけ陽気に振舞うほか、仕様のない事も事実だった。「べらぼうに撃ちやがるな。」 堀尾一等卒は空を見上げた。その拍子に長い叫び声が、もう一度頭上の空気を裂いた。彼は思わず首を縮めながら、砂埃の立つのを・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・そう泣いてばかりいちゃあ、仕様ねえわさ。なに、お前さんは紀の国屋の奴さんとわけがある……冗談云っちゃいけねえ。奴のようなばばあをどうするものかな。さましておいて、たんとおあがんなはいだと。さあそうきくから悪いわな。自体、お前と云うものがある・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・「こんなに亜麻をつけては仕様がねえでねえか。畑が枯れて跡地には何んだって出来はしねえぞ。困るな」 ある時帳場が見廻って来て、仁右衛門にこういった。「俺らがも困るだ。汝れが困ると俺らが困るとは困りようが土台ちがわい。口が干上るんだ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・せし風情にて、少年の顔を瞻りしが、腫ぼったき眼に思いを籠め、「堪忍おしよ、それはもう芳さんが言わないでも、私はこの通り髪も濃くないもんだから、自分でも束ねていたいと思うがね、旦那が不可ッて言うから仕様がないのよ。」「だからやっぱり奥・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・誰にも仕様がないから、政夫さんの所へ電報を打った。民子も可哀相だしお母さんも可哀相だし、飛んだことになってしまった。政夫さん、どうしたらよいでしょう。 嫂の話で大方は判ったけれど、僕もどうしてよいやら殆ど途方にくれた。母はもう半気違いだ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・お松は「仕様がないねえ坊さん」と云って涙ぐんだ。「又寄ってください」と云うのもはっきりとは云えなかった。そうして自分を村境までおぶって送ってくれた。自分も其時悲しかったことと、お松が寂しい顔をうなだれて、泣き泣き自分を村境まで送ってきた事が・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・ところがその出来上ったインキスタンドは実に嫌な格好の物で、夏目さん自身も嫌で仕様がないとこぼしておられたことを記憶している。 左様、原稿紙も支那風のもので……。特に夏目漱石さんの嫌いなものはブリウブラクのインキだった。万年筆は絶えず愛用・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・それでは、ここで私を待ち伏せていたのかと、返事の仕様もなく、湯のなかでふわりふわりからだを浮かせていると、いきなり腕を掴まれた。「彼女はなんぞ僕の悪ぐち言うてましたやろ?」 案外にきつい口調だった。けれど、彼女という言い方にはなにか・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・今更言ってみても仕様がないくらい汚ない。わずかに、中之島界隈や御堂筋にありし日の大阪をしのぶ美しさが残っているだけで、あとはどこもかしこも古雑巾のように汚ない。おまけに、ややこしい。「ややこしい」という言葉を説明することほどややこしいも・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・けれども、如何仕様も無い、這って行く外はない。咽喉は熱して焦げるよう。寧そ水を飲まぬ方が手短に片付くとは思いながら、それでも若しやに覊されて…… 這って行く。脚が地に泥んで、一と動する毎に痛さは耐きれないほど。うんうんという唸声、それが・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫