・・・何とも返辞の仕様が無く黙っていますと、それから、しばらくは、ただ、夫の烈しい呼吸ばかり聞えていましたが、「ごめん下さい」 と、女のほそい声が玄関で致します。私は、総身に冷水を浴びせられたように、ぞっとしました。「ごめん下さい。大・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・いつか先生との雑談中に「どうも君の国の人間は理窟ばかり云ってやかましくって仕様がないぜ」というようなことを冗談半分に云われたことがある。なんでも昔寄宿舎で浜口雄幸、溝淵進馬、大原貞馬という三人の土佐人と同室だか隣室だかに居たことがある、その・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・不折の如きも近来評判がよいので彼等の妬みを買い既に今度仏国博覧会へ出品する積りの作も審査官の黒田等が仕様もあろうに零点をつけて不合格にしてしまったそうだ。こう云う風であるから真面目に熱心に斯道の研究をしようと云う考えはなく少しく名が出れば肖・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・「ウウン、そうはいかねえ、謝りのしるしに榛の木畑をあのままそっくり取上げるちゅうこって、やっとおさめてきた」「榛の木畑を?」 善ニョムさんは、びっくりして頭をあげた。「仕様がないじゃないか、とっさん」 息子はおさえつける・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 番頭は例の如くわれわれをあくまで仕様のない坊ちゃんだというように、にやにや笑いながら、「駄目ですよ。いくらにもなりませんよ。」「まあ、君、何冊あるか調べてから値をつけたまえ。」「揃っていても駄目ですよ。全くのはなし、他のお客様・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・しかし用心をしろと云ったって別段用心の仕様もないから打ち遣って置くから構わないが、うるさいには閉口だ」「そんなに鳴き立てるのかい」「なに犬はうるさくも何ともないさ。第一僕はぐうぐう寝てしまうから、いつどんなに吠えるのか全く知らんくら・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・けれども事件がここまで進展して来た以上、後の二人の来ない中に女を抱いてでも逃れるより外に仕様がなかった。「サア、早く遁げよう! そして病院へ行かなけりゃ」私は彼女に云った。「小僧さん、お前は馬鹿だね。その人を殺したんじゃあるまいね。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・もうしまっておいたって仕様がないし、残しときゃ手拭紙にでもするんだが、それもあんまり義理が悪いようだし、お前さんに預けておくから、西宮さんに頼んで、ついでの時平田さんへ届けてもらっておくんなさいよ。ねえ小万さん、お頼み申しますよ」 小万・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 結ったって仕様のない様な気がする。 若い年頃の人が髪をおろす時の気持が思いやられる。 ピッタリと頭の地ついた少ない髪を小さくまるめた青い顔の女が、体ばっかり着ぶくれて黄色な日差しの中でマジマジと物を見つめて居る様子を考えて見る・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・「ええとも、あの餓鬼ったら、仕様のない奴や。」「そうしてくれのう。土産も何もあらへんけど、二円五十銭持ってるのやが、どうにかならんかのう?」「要るもんか。」「要らんか、頼むぜ。」「行こ行こ。」「ちょっと待ってくれ、お・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫