・・・ それがために、しかしわが家ながら、他家のごとく窮屈に思われ、夏の夜をうちわ使う音さえ遠慮がちに、近ごろにない寂しい徹宵の後に、やッと、待ち設けた眠りを貪った。 二一 子供の起きるのは早い。翌朝、僕が顔を洗うころ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その当時、私の家に来られたことがあるが、「一カ月ぶりで他家を訪ねた」と言われた。その頃は多分痔を療治していられたかと想う。生れて初めて外科の手術を受けたとのことで、「実に聊かな手術なのに……」と苦笑して、その手術の時のことを話された。 ・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・その背後に立っていたのは、この未亡人の二人の娘で、とうに他家に嫁いで二人ともに数人の子供の母となっているのであるが、その二人が何か小声で話しながら前に腰かけている老母の鬢の毛のほつれをかわるがわるとりあげて繕ってやっている。つい先刻までは悲・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・とにかく他家の雑煮を食うときに「我家」と「他家」というものの間に存するかっきりした距たりを瞬間の味覚に翻訳して味わうのである。 土佐の貧乏士族としての我家に伝わって来た雑煮の処方は、椀の底に芋一、二片と青菜一とつまみを入れた上に切餅一、・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・彼女の家を立てるべき弟は日露戦争で戦死したために彼女はほんとうの一人ぽっちであったので、他家に嫁した姉の女の子を養女にしてその世話をしているという事であった。 母の存命中は時々手紙をよこしていたが、母の没後は自然と疎遠になっていたので今・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・順はとくにいでて他家を継いでいる。それで家に残るは六十を越えた彼らの母と、長男の残した四人の子供と、そして亮の寡婦とである。さびしい人ばかりである。 亮の家の祖先は徳川以前に長曾我部氏の臣であって、のち山内氏に仕えた、いわゆる郷士で・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・それで、ある時だれか他家のおばさんが「それはどこかおなかに弱い所のあるせいでしょう」と言ってくれた時には、何かなしに一種のありがたい福音を聞くような気がした。なんだか自分の意志によって制すべくして制しきれない心の罪が、どうにもならない肉体の・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・ 成長して他人の家へ行くものは必ずしも女子に限らず、男子も女子と同様、総領以下の次三男は養子として他家に行くの例なり。人間世界に男女同数とあれば、其成長して他人の家に行く者の数も正しく同数と見て可なり。或は男子は分家して一戸の主・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・一 女子の結婚は男子に等しく、他家に嫁するあり、実家に居て壻養子するあり、或は男女共に実家を離れて新家を興すことあり。其事情は如何ようにても、既に結婚したる上は、夫婦は偕老同穴、苦楽相共の契約を守りて、仮初にも背く可らず。女子が生涯娘な・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 昔の慈愛ふかい両親たちは、その娘が他家へ縁づけられてゆくとき、愈々浮世の波にもまれる始まり、苦労への出発というように見て、それを励したり力づけたりした。その時分苦労と考えられていたことの内容は、女はどうせ他家の者とならなければならない・・・ 宮本百合子 「これから結婚する人の心持」
出典:青空文庫