・・・ これらの条項を机の上に貼り附けるのは、学校の教師が、学校の課目全体を承知の上で、自己の受持に当るようなもので、自他の関係を明かにして、文学の全体を一目に見渡すと同時に、自己の立脚地を知るの便宜になる。今の評家はこの便宜を認めていない。・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・そこから我々の自己において明晰判明なる知識の客観性を基礎附けるのである。最高完全者としての神の観念は存在を含むという神の存在の証明は、百円の観念は百円の金貨ではないという如きを以て一言に排斥すべきではない。神はカント哲学の形式によって実在す・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・今年は肥料だのすっかり僕が考えてきっと去年の埋め合せを付ける。実習は苗代掘りだった。去年の秋小さな盛りにしていた土を崩すだけだったから何でもなかった。教科書がたいてい来たそうだ。ただ測量と園芸が来ないとか云っていた。あしたは日曜だけれども無・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・それから、何の、走って、走って、とうとう向うの青くかすんだ野原のはてに、オツベルの邸の黄いろな屋根を見附けると、象はいちどに噴火した。 グララアガア、グララアガア。その時はちょうど一時半、オツベルは皮の寝台の上でひるねのさかりで、烏の夢・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・慾しい慾望と不可能と云う事実との間にどう心を落付けるかと云うところまで、推論して行く几帳面さを彼は持っているから。 ところが、率直に云って、どれも私の心持には当っていない。私や、私のような無籍者の美術批評家達は、ちっとも憐れまれる必要も・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・女性のやさしさは、支配者によって、彼女たちの愛してやまぬ男たちを殺す刀に付ける虚偽の飾りとして利用されたのであった。キリストは神の名において戦争を合理化し熱心なキリスト教徒の女が、恥なく人間同士の殺戮に熱中した言葉を与えた。そのとおりに、日・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・秀麿が心からでなく、人に目潰しに何か投げ附けるように笑声をあびせ掛ける習癖を、自分も意識せずに、いつの間にか養成しているのを、奥さんは本能的に知っているのである。 食事をしまって帰った時は、明方に薄曇のしていた空がすっかり晴れて、日光が・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・見附けるまでは足を摺粉木にして歩くぞ」 遍立寺を旅支度のままで出た二人は、先ず浅草の観音をさして往った。雷門近くなった時、九郎右衛門が文吉に言った。「どうも坊主にはなっておらぬらしいが、どんな風体でいても見逃がすなよ。だがどうせ立派・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・が、雀は一粒の餌さえも見附けることが出来なかった。で、小屋の中を小声で囀りながら一廻りすると外へ出て来て、また茶畑の方へ霜を蹴り蹴りぴょんぴょんと飛んでいった。十四 野路では霜柱が崩れ始めた。お霜は粥を入れた小鉢を抱えたまま・・・ 横光利一 「南北」
・・・彼は夜ごとに燭台に火を付けると、もしかしたらこっそりこの青ざめた花屋の中へ、死の客人が訪れていはしまいかと妻の寝顔を覗き込んだ。すると、或る夜不意に妻は眼を開けて彼にいった。「あなた、私が死んだら、幸福になるわね。」 彼は黙って妻の・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫