・・・そこで自分は仕方がなく、椅子の背へ頭をもたせてブラジル珈琲とハヴァナと代る代る使いながら、すぐ鼻の先の鏡の中へ、漫然と煮え切らない視線をさまよわせた。 鏡の中には、二階へ上る楷子段の側面を始として、向うの壁、白塗りの扉、壁にかけた音楽会・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・不安が沈静に代る度にクララの眼には涙が湧き上った。クララの処女らしい体は蘆の葉のように細かくおののいていた。光りのようなその髪もまた細かに震えた。クララの手は自らアグネスの手を覓めた。「クララ、あなたの手の冷たく震える事」「しっ、静・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・受附の店員は代る/″\に頭を下げていた。丁度印刷が出来て来た答礼の葉書の上書きを五人の店員が精々と書いていた。其間に広告屋が来る。呉服屋が来る。家具屋が来る。瓦斯会社が来る。交換局が来る。保険会社が来る。麦酒の箱が積まれる。薦被りが転がり込・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・「二葉亭は破壊者であって、人の思想や信仰を滅茶々々に破壊するが、破壊したばかりでこれに代るの何物をも与えてくれない」と。思想や信仰は自ら作るもので人から与えるべきものでないから、求めるものの方が間違ってるが、左に右く二葉亭は八門遁甲というよ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ それから二人で交る代る、熱心に打ち合った。銃の音は木精のように続いて鳴り渡った。 その中女学生の方が先へ逆せて来た。そして弾丸が始終高い所ばかりを飛ぶようになった。 女房もやはり気がぼうっとして来て、なんでももう百発も打ったよ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ と、思わず出掛った言葉に代る「よう!」という声をいっしょにあわててチラシをうけとったが、それは見ずに、「どうしてたんだい? 妙なところで会うね」 チラシ撒きなんぞに落ちぶれてしまったかと、匂わせながら言うと、案外恥じた容子も見・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・これはね、曖眛な思想や信ずるに足りない体系に代るものとして、これだけは信ずるに足る具体性だと思ってやってるんですよ。人物を思想や心理で捉えるかわりに感覚で捉えようとする。左翼思想よりも、腹をへらしている人間のペコペコの感覚の方が信ずるに足る・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ ところが、翌る日には登勢ははや女中たちといっしょに、あんさんお下りさんやおへんか、寺田屋の三十石が出ますえと、キンキンした声で客を呼び、それはやがて淀川に巡航船が通うて三十石に代るまでのはかない呼び声であったが、登勢の声は命ある限りの・・・ 織田作之助 「螢」
・・・予言者は天意の代弁者であり、その権威に代わる者だからである。 その同時代と、大衆への没落的の愛を抱かぬ者も予言者たり得ない。そのカラーを汚し、その靴を泥濘へ、象牙の塔よりも塵労のちまたに、汗と涙と――血にさえもまみれることを欲うこそ予言・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 例え、スバーは物こそ云えないでも、其に代る、睫毛の長い、大きな黒い二つの眼は持っていました。又、彼女の唇は、心の中に湧いて来る種々な思いに応じて、物は云わないでも、風が吹けば震える木の葉のように震えました。 私共が言葉で自分達の考・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫